大石館

築城者:大石弾正左衛門朝良
所在地:滋賀県大津市大石東1丁目10-6

№474

平安時代前期鎮守府将軍、藤原秀郷(俵藤太)で、山城の国田原郷に属していた大石庄の
郷士で、その末孫が大石氏を名のり、下司職(荘園の官吏)等につく。

浄土寺に伝わる大石氏系図によると、室町時代中期の応仁の乱で、(1467)一族討死したが
遠縁の小山氏との縁組により大石良雄の先祖となる。中輿の祖・大石弾正衛門朝良に二人の
子あり。兄の大石平左衛門良定は、初め大石淀・山口玄蕃頭(秀吉より近江・宇治越えの警備に
任ず)に仕え、秀吉公朝鮮出兵に参加。弟・大石久右衛門良信、近江八幡城主・豊臣秀次公に
仕え、大石東村で慶長四年正月(1599)歿。

良信次男の良勝は、初め出家したが、父の死後浪人18歳で江戸へ。ここで茨城・笠間城主浅野
長重(初代赤穂城主長直の父)に出仕し、国替えになり以後、本貫地を治めるのと、播州赤穂に
出仕することになる。

大石邸祉‥万治元年(1658)の記録に、『久右衛門屋敷』・大石東村字大谷、東西十二間
南北十間の記録あり、その註に『その子孫は浅野内匠守殿家中、大石内蔵助播州赤穂にあり』
と。大石にはこの他に東、中、西、新田等三乃至六軒の屋敷があったといわれている。

                                      浄土寺の住職様に頂いた史料より

登城日:平成二十三年(2011)十月二日  作成日:平成二十三年十月十日

HPで大石館の所在地を調べると、大石中町と書いていたが、大石東1丁目10-6に
位置する浄土寺でした。大石の交番所に飛び込み、教えていただいた浄土寺に車を進め
大きな無料駐車場に停め、住職さんにお聞きしました。

浅野長吉(長政)は、豊臣秀吉公の幼友達で、尾張出身で秀吉の妻の妹をもらっている。
浅野内匠守長矩の五代先の人。秀吉公より、初め瀬田城主次いで坂本城主、更に天正年間
初代大津城主に任ぜられ、山口玄蕃と共に近江と宇治との警護を命ぜられ、大石の土地を
秀吉より賜っている。長吉はその後、若狭城主からさらに東北の大名になったなど
大石氏と浅野氏の関係を教わりました。

大石館主郭の大石久右衛門良信邸の碑

電柱に書かれた番地

大石家の菩提寺 浄土寺

赤穂浪士四七士の墓石

大石家の墓石

大石館跡からの浄土寺

主郭の石垣

崩れた石垣

帯曲輪の石垣

大石家菩提寺の碑

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