目賀田城
目加田城は南に宇曾川の支流、岩倉川を控え、その北に方形に土塁と堀をめぐらせた単郭の館で、
北東より小河川と自然水により堀に引き水し、南の岩倉川に通じている。門は南東の位置に構え
られており、北西部には堀に橋を掛けていたようである。
目加田氏は藤原氏の出で、鎌倉時代より御家人格として佐々木氏に仕え、正慶元年(元弘二、1332)
以後、文献上に登場し活躍するが、分家も多く、周防岩国の吉川氏が出で、また越中取越城主と
なったものもある。
目加田宗家は二郎左衛門を名のった。貞和三年(正平二、1347)に、六角氏頼に従い河内の藤井寺
合戦で活躍し、分家で近江八幡市の比牟礼神社の神主職となった五郎兵衛信職は御家人であって
文武に秀で、建武年間(1334~38)には足利尊氏に従い、摂津・河内・山城等の地で奮戦した。
日本城郭体系11より
№518
登城日:平成二十四年(2012)九月十七日 作成日:平成二十四年十月二十八日
八町城からナビで目賀田公民館を検索し、約10分で到着しました。公民館の方にお願いして、車を停めさせてもらい
公民館の奥に進むと、土塁が目のまえに飛び込んでくる!土塁のまえに、城碑と由来書があり、シャッターを連打!!
さらに奥に進むと、右に土塁に囲まれた本丸跡が確認できましたが、整備するときに堀を消失したそうです。
整備されるのは良いと思いますが、堀を消失するのは悲しいですね!
土塁のまえに、目賀田城の城碑と由来書
目賀田公民館の横に目賀田城跡公園のカンバン
目賀田城跡周辺の地図
目賀田城の由来書
土塁と案内板
土塁
目賀田城の案内板
少し割れていますが、案内板の写真
案内板の古地図
虎口の土塁
埋められてしまった堀跡
築城者:目賀田氏 元弘二年(1332)
所在地:愛知郡愛荘町目加田