八町城
築城者:赤田隼人正源隆 永正年間(1504~21)
所在地:滋賀県犬上郡戸豊郷町八町
№517
八町城址の石碑
八町城の城跡は八町集落の西に位置する白山神社境内から、その北の常禅寺境内に
かけて、土塁・堀が残されているといった状態である。土塁の高さは全体に
1,2m~1,5m程度で、さして高くはないが、延長がよく残っている。
また神社と寺との境にも二条の土塁があり、その間が堀跡で当初からのものと
思われることから、連郭式の平面をもつ城跡と考えられる。
城主の赤田氏は鬼退治で名をなした渡辺綱の子孫と伝えられ、当初は越後赤田氏荘
の地頭であったが、綱の十世の孫備が近江に来て、その子左衛門尉栄が多賀町曾我
に住み、その四世隆の永正年間頃に八町に住むようになった。
そして江北の浅井氏に従い、六角氏と戦い、さらに織田との姉川・小谷城の戦い
に加わって浅井氏と没落うぃ共にした。
日本城郭体系11より
常禅寺門と城碑
門から赤田氏の碑が観えます
常禅寺境内
赤田隼人氏の顕彰碑
神社と寺の境の土塁
本丸の土塁
周辺の道は狭く、車の対向は無理ですね
常禅寺のお堂
登城日:平成二十四年(2012)九月十七日 作成日:平成二十四年九月二十三日
滋賀県城巡りの二番目の城、八町城にやってきましたが周辺の道路は狭く、まえから車が来ないか
心配しながら、ゆっくりと進み常禅寺の門まえまでやっとたどり着きました。
門のまえに八町城址の石碑があり、門に常禅寺の下に八町城址と書かれていました。
門をくぐると、右に赤田隼人氏の顕彰碑があり、その周りは土塁に囲まれています。
集落の狭い道を進むと、土塁と思われる箇所が所々に確認できました。