田原城
建造者は田原庄の荘官であった田原但馬守(名は不明・某と記される・洗礼名レイマン)で戦国時代に畿内の
支配者となった三好長慶に属し、田原城も永禄三年(1560年)以降長慶の居城とされた飯盛山城の支城として
建てられたといわれる。また、田原城より北に元の居館があったともいわれている。
田原但馬守は一説には松永久秀の被官であったという。三好氏の没落とともに田原氏も勢力を失い田原城も
廃城とされた。田原城については絵図のみが残され史料は少ない。田原但馬守についても文書ではフロイスの
書簡に名を留めるのみで、近くの千光寺跡に南北朝時代以降のものと思われる墓碑があり、その中に洗礼名の
礼幡と十字及びイエズス会を示す“Η”が刻まれたものがある。
① 月泉寺駐車場から観た田原城跡
② 登城道の道しるべ
③ ゆるやかな坂道を上がっていきます
④ 空堀のまえに竹林が観えてきます
⑤ 石段を上がると本丸に入ります
⑥ 田原城址の石碑と住吉神社のお堂
⑦ 本丸の田原城址のカンバン
⑧ 竹林を通り搦手へすすむ
⑨ 搦手口が観えてきました
⑩ 搦手口を出て堀を渡ると古堤街道になります
№409
築城者:田原但馬守 室町時代後期
所在地:大阪府四條畷市上田原字八の坪
登城日:平成二十二年(2010)七月五日 作成日:平成二十五年一月十七日
月泉寺の無料駐車場に停めさせていただき、目のまえの田原城址の小山を目指す。
徒歩5分で、登城道の道しるべを確認し、登城開始。ゆるやかな坂道を上がっていくと
空堀から生えた竹林が観えてきます。竹林が過ぎ、石段を上がると本丸になり、駐車場
から観えていた、田原城址のカンバンを確認、その奥に城碑とお堂がありました。
さほど大きくない本丸でしたが、破壊されず戦国時代を偲ばれました。
本丸から、井戸曲輪を通り搦手口に向います。搦手口から堀跡を渡り、古堤街道で
月泉寺駐車場迄を城山を眺めながら楽しみました。