千利休屋敷跡

撮影日:平成二十五年(2013)十二月十五日   作成日:平成二十五年十二月十五日

昨日から寒い日になっていますが、忘年会に参加。会場近くに千利休屋敷跡があるのを思いだし、
一時間まえに堺市の屋敷まえに到着。住宅の一軒分の敷地に井戸と灯篭がありましたが、屋敷の周りは
新興住宅地で様変わりし、うっかりすると、見落としてしまいそうでした。

堺市役所の21階に展示されている茶室

堺市役所の21階に展示されている茶室

屋敷跡の右奥にある井戸跡

屋敷跡の左奥には、灯篭

入口の左に屋敷の石碑と説明版

屋敷跡の説明版

所在地:大阪府堺市堺区宿院町西1-17-1

千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として
生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。
茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切る
など天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。

現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。
井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。

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