守口城

森口城とも記す。大内義弘の家臣杉九郎が守った城と伝わる。
応仁の乱や石山合戦のさいにも戦場となった所だが、現在は
市街地となり、跡も残さず正確な位置は確認されていない。
             日本の名城・古城事典より

守口市の竜田は、旧淀川がこの辺りを流れていたのだろう。
その旧淀川の堤を利用して京から難波まで京街道が延びる。
文禄堤の小道を入ると『江戸川乱歩』の旧宅があり、八島
交差点陸橋を渡り東側に大塩平八郎史跡の書院もある。

難宗寺の大銀杏とが見えてくると、難宗寺と交差しているのが
旧京街道であり、梯郭式守口城の中心線である。虎口跡には現在、
旧瓶橋の石柱が二つ残る。二の丸趾には盛泉寺、本丸跡が難宗寺。
守口城は南北朝から室町末期まで存在した。大坂本願寺攻防戦では、
城址を砦として信長も利用した可能性がある。

また、三好長慶が本陣としたり、明智光秀が砦を築くなどと書かれた
書物もあるが、今となっては確認できない。淀川を利用し、周囲に濠を
掘り土塁を廻らし、南北300m東西200mの規模と推定されている。
難宗寺境内にある樹齢400年の銀杏が、時代の生き証人である。
                    毎日新聞社発行の城より

築城者:不明   築城年代:室町時代
所在地:大阪府守口市竜田通1丁目5番地

№319

歴史を感じる勝手口

京街道に並ぶ道標

難宗寺の櫓門

難宗寺に沿って大阪に向かっている京街道

京街道で京から難波へ

主要道路の起点となった難波の高麗橋

登城日:平成二十一年(2009)六月二十三日
作成日:平成二十一年(2009)六月二十四日

安倍晴明の碑がある。という事で会社帰りに放出の阿遅速雄神社に寄ってみた。
境内を散策して、帰路の途中守口市に入ったとき、前々から気になっていた
守口城にも寄ることにしました。国道1号線で八島町交差点を右折すると、
途中道路が狭くなる。その右角が難宗寺で、守口城の本の丸跡らしい。

その道を横切っているのが京街道で、京街道に足を踏み入れた瞬間
ヽ(*゚O゚)ノ 
江戸時代にタイムスリップしました~

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