久宝寺城
№545
所在地:大阪府八尾市久宝寺6丁目
久宝寺城の石碑
大和冷機で検索し、裏に周る
車の中からの一枚
車を降り角を周って、一枚
久宝寺城の由来書
登城日:平成二十六年(2014)二月十一日 作成日:平成二十六年二月二十六日
築城年代は定かではないが畠山家国によって築かれたと云われる。家国の子孫
畠山満基の長子満貞は渋川郡を領して渋川満貞と名乗り久宝寺城に居城したという。
渋川満貞の子光重(光貞とも)は播磨国安井郷を領して移り安井氏を称した。
光重のあと、光長、光行と続き、安井定継のときに久宝寺城に戻った。
安井定継の子定重・定正兄弟は織田信長に仕えたが、天正5年(1577年)本願寺の兵に
よって攻められ定重は討死、定正もこのときの傷がもとで没した。安井氏はその後も
久宝寺寺内の支配権を有して江戸時代まで続いている。
今日の最終城、久宝寺城を検索できないので、大和冷機を検索しその裏に周ると久宝寺城跡にたどり着けました。
工場が建ち並ぶ間にひっそりと建つ石碑は、信長に攻め落とされた安井氏の悲しい姿が思い浮ぶようでした。