柴島城跡

築城者:十河一存 天文十八年(1549)以前
所在地:大阪市東淀川区柴島2-19

淀川と旧中津川に囲まれた中州にあり、若干の高地(芝ガ洲)にあったと思われている。この地は近代の
淀川改修事業で一部は淀川の河川敷になり、中津川も廃川となってしまい現在その地形は失われている。
明治時代初旬に作成されたと思われる『東摂城址図誌』(東城兎幾雄編)に柴島城も記載されており、
それによると城跡の大きさは二町四方で、周囲より四尺ほど高い畑地があったとしているが、その畑地は
現在大阪市立柴島中学校となっている。「数値地図5mメッシュ(標高)京都及大阪」(国土地理院発行)を
使って柴島付近を縮尺2500分の1の地図にし、『東摂城趾図誌』(東城兎幾雄編)の柴島城の地図と比べて
みると、170m×200mの長方形の微高地(標高4m)がほぼ一致した。
                                       日本城郭体系より

自宅から検索

車は入れませんので、徒歩で散策

宅地の1画にに柴島城の石碑がありました

石碑の裏を覗き込むと、昭和三年の文字が‥‥

登城日:平成二十六年(2014)一月十六日  作成日:平成二十六年一月二十一日

永年登城を考えていましたが、住宅街の車が通行できない場所に城碑があるので、諦めていましたが本日決行!
14時過ぎ自宅で柴島城を検索すると約21km。線路沿いから踏み切りを渡り、一方通行を進み三叉路を左折する
公民館の前が少し広い道路ですので車を停め、カメラを提げ急いで城碑の場所に走る!!

住宅にカメラを向けないように、10枚ほどを撮り車に戻る。慌しい登城となりましたが、登城と言えるのかな?

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