沢良宜城

所在地・大阪府茨木市美沢町
築城者・藤井三位

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室町幕府三代将軍足利義満(1368〜1394)は少年の義持に将軍職を譲って五年目に当たる
応永六年(1399)、競争相手にのし上がり堺港に進出してきた。この時、沢良宜城主・藤井三位は
義持将軍より『御馬廻り免状』を頂いて家老職や郎党を従えて勇躍出陣した。
お馬廻り衆とは、いわば室町幕府直参の旗本で『応永記』は三千騎と記している。

義満は本陣を男山八幡宮に進め、十一月二十九日の第一回目の対戦では防備堅固な大内勢の
作戦勝ちとなり不利とみた幕府軍は一旦後退、第二回目の進撃は十二月二十一日、
烈風の中で一斉に火攻めを敢行、さしもの大内勢も全滅に近い打撃を受け、そば杖を食らった
堺の民家一万戸は無惨にも全焼し、義弘はあっけなく敗死、全盛を誇った自由貿易都市の堺は
焼野が原となった。

当時の沢良宜勢の顔触れを探していたところ『勝尾寺文書』の鳥居造立(1349)の
寄進者名簿(但し50年前の記録)をみつけた。

サワラギ・寺内奥の大弐阿闍梨     サワラギ・野村大夫
サワラギ東・修理入道           サワラギ田中・出羽権守
サワラギ ・ 若殿原寄合(二貫文)

とあり合計六貫文を寄進しているのに対し、同じ勝尾寺水系からは他に

茨木東・太郎次郎   三宅乾・肥前左衛門入道    牧・弥九郎
味舌・六郎二郎入道    吉志部・兵部公

もそれぞれ一貫文を寄進していることからみて沢良宜勢は同水系の郷村に比して突出しており
当時の沢良宜勢は三千坪の城を中心に勝尾寺衆徒の中でも相当にハバをきかせていた。

野村大夫は城主、寺内奥の阿闍梨は端光山正東院奥の院、蓮花寺の長老、茨木東の太郎次郎は
茨木氏(城主か?)、三宅乾は宇野辺八丁池方面、牧弥九郎は垂水西牧(小坪井か?)の牧司と
思われる。(三宅城はこの時より50年かもう少しおくれるか。井於神社の移座との関係からみて)
沢良宜東の井上家は足利尊氏時代に移って来たという言い伝えがここで照明され
高島家所蔵の『お馬周り免状』は城主から受け継いだものとみている。

            
茨木市教育委員会発行 わがまち茨木  城郭編  より

室町幕府三代将軍足利義満(1368〜94)は少年の義持に将軍職を譲って五年目にあたる
応永六年(1399)、堺港に進出してきた周防国の大内義弘を堺に攻めた時、沢良宜城主・藤井三位は
義持将軍から『御馬廻り免状』をもらい、家老職や郎党を従えて勇躍出陣したと伝えられています。

『御馬廻り衆』とは、いわば室町幕府直参の旗本で『大永記』は三千騎と記しています。
当時の沢良宜勢は約三千坪の城(環濠の砦)を中心に、勝尾寺衆徒の中でも相当な力をもっていたようです。

この城(小字宮西)は、応仁の乱(1467〜1477)の頃か、もう少し前の1400年代の早い時期になくなったと
考えられています。現在、城跡地(美沢町)は高層マンションや住宅となり、その南端(小字野村垣内)には
ボウリング場などができています。
また、隣接した武内・佐和良義神社の拝殿前にある八幡神社は、お城の守護神で南北に長い参道は
乗馬訓練の馬場といわれています。

     
                      茨木市教育委員会   案内板より

登城日 平成十九年(2007)十二月八日 作成日平成十九年(2007)十二月十二日

会社からの帰り道に沢良宜城に向かった。佐和良義神社をナビに打ち込み近くまで来たが、
周辺は住宅街で車が渋滞して動かない。夕方の4時過ぎなので日が暮れるのも早く、気が焦る。
4時30分到着!。佐和良義神社の鳥居近くに車を停め、公園に入る。が案内板が見つからない!。
公園の奥の道まで行ったが、案内板が見つからず、引き上げて、公園から出ようとした時、あっ!
先程公園に入った、左側に案内板が建っていた。まず、案内板の写真を撮り
、城碑の写真も撮った!
後は、佐和良義神社の参道を確認する。
本当に乗馬の練習ができるような、真っ直ぐな参道である。参道を歩いていると、年輩の方から声をかけて頂いた。

何を撮っているのですか?。 城跡を周っています、ここは沢良宜城の跡なので写真を撮っています。
すると、年輩の方が、
参道の端が土塁跡で、その向こうの車道は川を埋めたんじゃ。と教えて頂いた。

城巡りをしていると、いつも親切な方にお会いでき楽しい城巡りができています。
これからもいろいろな方と巡り会える事を楽しみに城巡りをしていきたいと思っています
この度も、沢山の方とお話も出来、教えても頂きました、本当にお世話をお掛けしました。ありがとうございました

沢良宜城の案内板と城碑

沢良宜城の城碑

佐和良義神社の参道

佐和良義神社の土塁

佐和良義神社の土塁上の歩道

私見

さわ  ら   ぎ  じょう

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