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三宅城

築城者・三宅出羽守國政
築城年・永正元年(1504)

≪平城≫

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雪の止むのを車の中で、ひたすらに待つ!

思いが通じ雪が止んだ!

辺りは一面銀世界!

三宅城跡の案内板と城碑

蔵垣内公園・三宅城跡の碑

今から483年前の永正元年(1504)に築かれた『三宅城のあった場所である。
この城は、三宅出羽守國政築いた。永正か〜大永〜享禄〜天文〜弘治を経て永禄五年まで58年間続いた。
後柏原、後奈良、正親町天皇の頃、戦国時代の室町後期にあたる。

三宅氏の系図をみると、右京守政明、伊賀守清明、出羽守國政、美濃守國広、出羽守國村の名があげられている。
ありし日の三宅城は、ほぼ東西596m、南北540m、広さ403haの城域が推定される。
このなかの土地がやや高まった所に、南北270m]東西180m、広さ3.6haに及ぶ本丸があった。
かなり立派なものだったと思われる。城の周りには堀がめぐらしていた。
地籍図に残っている小字名に『堀田』 『蓮池』 『大名寺池』と呼ばれる地名がこの土地に刻まれた歴史を
あらわしているようだ。

ところで天文元年(1532)城主三宅出羽守國政は、細川高國の弟晴國と共に本願寺の一揆に加担した。
細川晴元が四国から来てこの一揆を破ったので、國村は晴元の配下に入ったが、天文十五年、遊佐長教が
細川氏綱を立てて芥川城主三好長慶と戦ったとき、國村は氏綱に味方したため、翌十六年二月二十六日
長慶に攻められ、遂に三月二十二日城を開いて軍門に降った。

天文十八年、芥川城主・三好長慶と江口城主・三好入道宗三との争いが起こった。
そのとき、三宅出羽守國村は長慶に味方したと疑われ、細川晴元はその将・香西越後守元成を遣わして國村を攻めた。
國村は敵の軍勢に対して城を守りきれず、ついに三月二十九日落城した。城主・國村は辞世を残し自刃した。
時に四十二歳だった。一男三女は城をのがれ、勝尾寺麓の康和房方に落ち着き、長女は尼寺へ、二女は寺井家、
長男は高橋家、三女は杉本家へ嫁したという。三宅城城落後は、香西元成が城主となった。

晴元の兵で城を守らしたが、その後長慶と宗三との争いで宗三の味方をしたが、宗三は江口城にて戦死したため
三宅城の兵士も離散するに至り、三宅城は歴史の彼方に消えた。
初代城主・國政の墓は現在千里丘東一丁目に三宅氏の菩提寺だった常楽寺跡の墓地の一部に残されている。
また、丑寅二丁目16番地先にある、元鎮守跡の一角に、『三宅出羽守國村公』の碑がある。
これは國村公350年忌を記念して明治三十一年三月に建てられたもので、三宅落城の経緯を記したものである。

                        
茨木教育委員会発行 わがまち茨木 城郭編より

三宅城は丑寅2丁目、蔵垣内3丁目におよぶ小字「城之内」のあたりで、
永正1年(1504年)に三宅出羽守國政が築き、永正から大永、享禄、天文、弘治を経て
永禄5年(1562年)までの58年間続いたとされています。

三宅氏の系図をみると、左京守政明、伊賀守清明、出羽守國政、美濃守國広、出羽守國村の
名前があげられています。その頃の城の範囲は、ほぼ東西596m、南北540mと推定されており、
この中のやや高まった場所に本丸があったといわれ、かなり立派なものだったと思われますが
詳しくはわかっていません。しかし小字名に「堀田」[蓮池」「大名寺池」と呼ばれる地名などがあり、
この城のことを知る手がかりになっています。
                          
 茨木市教育委員会  現地案内板より

登城日 平成二十年(2008)二月九日 作成日 平成二十年(2008)二月十日

雪が降りしきる昼下がり仕事を終え、一路三宅城を目指す。幹線道路は車の通行が多いので雪はさほど無い。
少し路地に入り、淀川沿いの道は所々に雪の塊があり、タイヤに当たりハンドルが取られる。
三宅城近くになり車の通行も多いが、雪の量もふえてくる!。慎重にハンドルを握り締め、スピードを落として
交差点で信号待ち、橋を渡り信号を右折する。が、そこは坂道になっていて、歩行者は滑り台を滑るように
坂道を滑って下りていた 
(/o\)マズイ

その坂道を右に曲がりながら下らなくてはならないのだが、後ろからの車が多い!(>人<)!
ゆっくりとアクセルに足を乗せ、ハンドルを握り締めて進む
(◎o◎)

坂道に差し掛かりハンドルを右に切るが、反応なし(/ω\)マズイ・マズゾ〜!
だが、腕に自信のある私は、難無くクリアーしていた(o´_`o)ハァハァハァ・・・。
と、言うわけで、何とか三宅城に到着したが、雪の降る中、車で雪の止むのを待つ(つc_,- 。)ノ"。o○Zzz…

目が覚め車外を見渡すと、そこは銀世界の中にポツンと三宅城の案内板が建っている前だった
車を端に寄せ、蔵垣内公園の周辺を散策するが、今は住宅街のど真中だが
唯一左隣の田んぼになっているのが救いかな?
散策中、この雪の中何をしているのか、と、言っているような目で見られてのが寂しい・
゚゚(ノД`)あ゙〜ん
車に戻り、靴の中まで入った雪を戻し、暖房を強(
)にして家路を急ぐ{{{{(+_+)}}}}寒ううぅ〜。
先程の坂道が登れるのかなぁ〜
?(+ω+)? どうして、こんな日に城に行ったのだろうね ♪ヽ(^^ヽ)♪。

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