古河藩陣屋跡
所在地: 大阪市平野区平野宮町1丁目
この門は現在の平野小学校所在地にあった、古河藩の陣屋門で、明治の廃藩後平野小学校の表門として
昭和二年まで使用されていたが、小学校舎新築拡張にともない、保存の要望があって昭和三十七年一月
ここに移築された。 平野郷の藩政時代を示す唯一の遺構であり、その門扉は樟の一枚板である。
江戸時代の平野郷は、およそ元禄七年(1694)を境にして、前期は幕府領、後期は大名領であった。
とくに正徳三年(1713)下総国古河藩主、本多忠良に給与されて以来、明治二年の版籍奉還までの
一五六年間は、松平候、土井候と大名は代ったが古河藩付所領であった。 陣屋は土井候の古河藩時代に
設置され、平野郷をはじめ、摂津近在にある古河藩所領の行政事務を取り扱っていた。
もと古河藩陣屋門の説明版より
平野小学校正門の説明版
№544
登城日:平成二十六年(2014)二月十一日 作成日:平成二十六年二月二十三日
平野小学校の筋向いに大念佛寺があります
平野小学校の表門の説明版
大念佛寺に移築された陣屋門
陣屋門の説明版
文化九年(1812)頃の古河藩陣屋の絵図
昭和七年(1932)頃の平野小学校正門