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普門寺城

第二弾

阿武山を借景に作られた枯山水庭園。構成は左奥から枯れた木が流れ出し
低く架かった橋を通り大海に注いでいる。さらに右奥にも渓谷がありそこから
渓流が流れ出している。手前の石は地面から首を出した形で配置されているが
この手法は京都洛北にある円通寺のそれと同じである。阿武山を借景とする点でも
円通寺と似ている。尚現在は阿武山は庭園鑑賞の位置からは見えない。

尚方丈前と方丈南側にある枯山水は森蘊による作庭。
現在は周りに高層マンションが建ち並び、そのマンションを隠すために
仕方なく樹木を植え境内内だけの鑑賞で我慢しなければならないのが残念だ、とおっしゃっていた。

枯山水庭園

隠元が書いた額「獅林」(しりん)。仏殿に掲げられていたもの。往時が偲ばれる。

昭和57〜59年にかけて解体修理された方丈は、入母屋造りでこけら葺きの屋根
大きい軒などが調和して優美さを漂わせている。
だが、この屋根もそろそろ葺き替えの時期が来ているので、高槻市役所に
相談した結果、30年前の金額を提示して来たと 奥様が嘆いておられた。

昼過ぎに普門寺のお隣の三輪神社にお参りして、普門寺の山門が開いているのに
気付き、奥様に写真撮影をお願いしましたところ、本日は予約をしていないにも拘らず、
奥様のお心ずかいで、約1時間半の貴重な時間を割いて境内を案内して頂きました。
のち、お嬢様と、住職様にもお会いできました。ほんとうにありがとうございました!。

      (訪れる場合は、必ず数日前に予約が必要です)

住職様が普門寺に入られた時は、荒れ放題になっていて、一軒の檀家も無く
土塀は崩れて、堀は古自転車・古布団が投げ込まれ、ゴミ捨て場の如きありさまでした。
どうしょうも無く、高槻市役所に相談した結果、堀を埋める破目になりましたと、
嘆いておられました。
あげくの果てに、堀の半分まで市の土地にされ、6000坪あった境内が三分の一迄
縮小されてしまいました。
宝塚辺りまで托鉢に出かけられと、当時のご苦労話をされていました。

枯山水庭園を背にする住職様

今回、お世話になりました奥様と住職様

500年前の板間

この板間は約500年前の板間で、上段の半分は傷みが酷く、棟梁に
出来るだけ残せるようにお願いして、半分程残せたと、教えて頂きました。
板間の裏は、当時のチョンナの痕が今でも確認できるそうです。

所在地: 大阪府高槻市富田4丁目

登城日 平成二十年(2008)四月十三日

今でも『獅林』の文字がくっきりと

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