芥川城址

芥河氏が史料にはじめて登場するのは、弘安七年(1284)のことで、叡尊を戒師として出家した芥河右馬允平影信
という人物である。南北朝時代には芥河氏は北摂津を代表する国人として成長し、応仁の乱では東軍に属して
戦ったが、西軍の大内正弘の軍門に降り、その後芥河氏は衰退した。延徳二年(1490)細川政元は衰退していた
芥川宿を再建し、能勢因幡守頼則を芥川城主とした。永正十三年(1516)正月連歌師紫屋軒宗長が詠んだ「芥川
能勢因幡守新城にして祝の心を うちなびき いつこかのこる 春もなし」のこの「新城」が芥川山城であったと
考えられており、平城である芥川城の廃城は定かではないが、次第に山城へと移っていった。

石碑から西の方向(芥川)の道ですが車での登城は困難ですね

石碑から東方向

北方向の道も狭いですね

殿町8丁目に芥川城址の石碑がありました

今城・芥川城・高槻城を三城の城跡を訪れます

大きなお屋敷の中央に芥川城の石碑が建っています

登城日:平成二十四年(2014)一月二十八日  作成日:平成二十四年一月二十八日

昼食後少し気温が暖かくなったと思い、気になっていた芥川城址を訪れることにしました。
芥川城址周辺の道路が狭いので、久しぶりに自転車での登城となりました。
約15分で国道171号線のかぎ形になっている桜町を芥川沿いに北に進む。国道を離れ川沿いに
進むと右に高槻スイミングのカンバンを右折する。軽自動車が何とか通れる細い道を70m進むと
左の大きなお屋敷の中央に、小さな芥川城の石碑がありました。

築城者:芥河右馬允平影信 弘安七年(1284)
所在地:大阪府高槻市殿町八丁目

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