№388
佐伯城
築城者:毛利高政 慶長七年(1602)
所在地:大分県佐伯市鶴谷城山
《鶴屋城》
《鶴谷城》
佐伯城は、慶長六年(1602)入封した、毛利高政によって 翌七年から十一年にかけて
番匠川の河口に近い標高140mの塩谷八幡山に築城された近世の山城であったが、寛永十四年
三代高尚の時、山麓の三の丸に居所を移し、以降、平山城となって毛利氏十二代の居城として
明治維新を迎えている。
高政は尾張に生まれた豊臣秀吉子飼いの武将で、森を氏としていたが、中国役で織田信長急死
によって秀吉が毛利氏と和睦を結ぶ際、毛利方へ人質となったのが縁で毛利と改めた。大坂築
城に従事、文禄・慶長役では対馬に駅城を築き軍監を務め、慶長元年(1596)には豊後日田
二万石の大名となり、公田八万石の代官兼ね、隅城に五層の天守を築くなど出世したが、関ヶ
原で西軍に属し、佐伯二万石への転封となったものだ。 日本の名城・古城事典より
一番険しい登城の道
御下櫓(トイレ)
本丸からの展望
三の丸の櫓門
城内からの三の丸の櫓門
櫓門の肘壷と息子のこぶし
本丸の石垣
二の丸の石垣
本丸跡
文化会館の前の広い(無料)駐車場に停めさせてもらい、御下櫓(現在のトイレ)で用を足し
鳥居のある広い登城道を登っていくと、櫓門があります。櫓門を入ると虎口になっていて、さらに
進むと『登城の道・独歩碑の道・国木田独歩の道』と選べます。迷わずお殿様も上がった登城の道へ
脚を踏み入れ、登城開始!。だが一番厳しい道を選んでしまったようだ。
壮大な岡城の石垣群を観たあとだったので、少し少ない感じはあったが、戦国時代の雰囲気が
残るすばらしい城郭であった。展望も素晴しく本丸跡でゆっくり流れる時間を楽しみました。
朝日嶽城
№386
築城者:土持親信 天正十年(1582)
所在地:大分県佐伯市宇目大字塩見園
県道39号線沿いの大きな看板
豊後・日向国境線の朝日岳に天正十年(1582)大友義鎮の命により柴田紹安が築城した。
日向より豊後に抜ける街道筋を押さえる要衝にあったが、築城・守城を任された紹安は
これを左遷として不満に思い天正十四年(1586)島津氏が侵攻してくると、すかさずこれに
内応、明け渡した。
直後、この城は島津氏の拠点として土持親信が入城し、城主となった。しかし、わずか半年の後
大友氏の家臣・佐伯惟定の手で奪還された。そして豊臣秀吉の九州征伐が終わり、九州情勢が
平穏になった後の文禄二年(1593)廃城になった。 火燃ゆる強者どもの城より
登城日 平成二十二年(2010)二月七日 作成日 平成二十二年三月二十八日
宇目町教育委員会の説明板
枯れ草の下に土塁が見えている
延岡城から岡城に向かう県道39号線沿に、大きな朝日嶽城のカンバンに急ブレーク!
速度違反のスピードで100mほど過ぎ、登り口までバックしました。
説明板を確認して、登り口から200mほど入ったところの枯れ草の下に土塁を発見!
時間があれば、登っていきたいですが、後の城巡りのことを考えて、うしろ髪をひかれる
思いで車に飛び乗り、岡城を目指す!