岡 城

築城者:文治元年 緒方三郎惟栄
所在地:大分県竹田市大字竹田

岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が
源頼朝と仲違いをしていた弟義経を迎えるため築城したと伝えられているが
惟栄は大持浦(兵庫県)を出航しょうとして捕らえられ、翌年上野国(群馬県)
沼田荘に流された。建武のころ豊後国守護大友氏の分家で大野荘志賀村南方に
住む志賀貞朝は、御醍醐天皇の命令をうけ、岡城を修築して北朝と戦ったと
されるが、志賀氏の直入郡への進出は、南北朝なかばの応安二年(1369)から
後で(『豊後国志』巻六 直入郡の頃による。直入郡代官職・検断職を
預けられた以降)、その城はきむれ(騎「木」牟礼)の城であった。
のち、志賀氏の居城は岡城に移った。

天正十四年(1586)から翌年の豊薩戦争では島津の大軍が岡城を襲い、わずか
十八歳の志賀親次(親善)は城を守り、よく戦って豊臣秀吉から感状を与えられた。
しかし、文禄二年(1593)豊後大友義統が領地を没収されると、同時に志賀親次
も城を去ることになった。
                     竹田教育委員会

滝廉太郎の銅像

係員の方に教えていただきました、三の丸の高石垣

古大手門跡

慶長18年(1613)に朝日がまぶしいため、
現在の位置に移された古大手門らしい。

西の丸

二の丸からの展望

古井戸

西の丸の遠望

甲子園球場の四倍はある、とんでもない広さの西の丸に驚愕
現地に立って広さに、ただ々呆然

二の丸からは、遠くの山並みが見える、現在の癒し系の城郭。
時間が許す限り居りたいですね~

城郭全体が桜山になっていますので、4月の桜の季節は
最高でしょうね

こんな山城に井戸が何ヶ所かありました。
近くに寄ってみると、なんと73mの深さらしい。
手動での汲みあげはたいへんでしょうね

登城日 平成二十二年(2010)二月七日 
作成日 平成二十二年(2010)二月十三日

№387

気温 16度 快晴 
兵庫県の竹田城より規模が大きいのに驚愕

桜の季節に再訪をしたいですね。

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