№392

杵築城

築城者;木付頼直 明徳四年(1393)
所在地:大分県杵築市杵築

《木付城》

《臥牛城》

《台山城》

《勝山城》

杵築城(当初は木付城)は、現在陸続きの半島状となり、三層の模擬天守が
建てられているが、明徳四年(1393)木付氏四代頼直によって築かれた当時は
八坂川の河口の海中に浮ぶ周囲が断崖となっている溶岩台地の島であり、その
形状から台山城と称された。

この城は二度敵に攻められたが、常に寄手の軍を撃退して勝山城と賞賛された
戦史で有名である。初回の戦いは、天正十四年(1586)十月、島津軍は大拳し
て豊後に攻め入り、大友配下の諸城を次々と攻略して、府内から大友義統を
豊前宇佐郡龍王城に追い落とし、余勢をかって速見郡に入り、日出・深江城を
攻略、木付城に攻め寄せたのは、島津の重臣新納武蔵守忠元軍2500の精兵であった。

島津軍は一挙にもみつぶそうと攻めたが、天険の要害であり、海上よりの攻撃も
失敗、二ヶ月にわたり釘付け状態となった。やがて、秀吉援軍南下の報で木付城
攻略を断念した島津軍が退却にかかったところ、好機と見た木付鎮直は、翌天正
十五年二月二十二日、城から打って出て、激しく追打ちをかけ、島津軍は総くずれ
となって敗退した。            日本の名城・古城事典より

登城日 平成二十二年(2010)二月七日  作成日 平成二十二年四月二十七日

九州の城巡り二日目も夕方近くになり、あわただしく杵築城にむかう。
日出城より国道213号線を北上、八坂川手前で杵築城を左の対岸に確認

すかさずカメラに納め、八坂川を渡り左折するが曲がりくねった道は狭く
慌てる手でハンドルを操作する。無料駐車場に車を停め、急いで天守に
走る
日暮れまえの登城で、心臓の鼓動が早いのは
身体がキツイのか?うれしいのか?

城門をくぐり、天守前に着いたがすでに扉が閉まっていました。先ほどすれ違った
方々が、係員だったのでしょうね。土塀沿いに周り、綺麗な夕陽を見て駐車場へ。

そのあと息子と話し合い、昨年同様 暗闇の中津城へ
ゴォ~~_=3=3

昭和四十五年(1970)に
建てられた模擬天守

本丸からの眺めで西に沈む太陽

八坂川からの杵築城遠望

年代がわからない城門

駐車場の右側にある出入り口

現地の縄張り図

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