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府内城

《荷揚城》

《大分城》

築城者:福原直高 文禄二年(1593)
所在地:大分県大分市荷場町

文禄二年(1593)大友氏の豊後除国によって、翌年、早川長敏が一万三千石で入部し、
上野丘の大友館を修築して居住するが、、慶長二年(1597)三月三日石田三成の
妹婿福原直高が豊後臼杵六万石から十二万石で入部すると、近世の城と城下町の建設
を計画して、重臣の生島新助を連れて上野の飯盛塚に登り検討した。

その結果、北方に当たり、大分川の河口近くで商船が荷をおろすところから『荷落』
と称されていた地を、水上交通の便を考慮して城地に決定、直ちに築城にかかった。
木材は、領内はもとより土佐に良材を求め、石材は旧大友屋形や高崎山城からの転用と
諸国に巨石を求めたが、このとき、石の重量一匆について料金百文と触れ出したところ
たちまち数百隻の船が石を満載して集合したので価格をさげたところ、船人はみな石を
捨てて帰ったので、これを拾って事足りたといわれている。

登城日 平成二十二年(2010)二月七日  作成日 平成二十二年四月三日

府内城沿いで、昭和通り筋向いの市営駐車場に車を停め、城内にむかいました。
城内は内掘りに囲まれ、堀を半周して橋を渡ると大分文化会館が建っていいました。
その左に廊下橋がありました。廊下橋の中央の窓から天守台が見える。
天守台の西側に周り込むと、大きな駐車場があったのには
ビックリ

山里丸

廊下橋から天守台を見る

廊下橋

人質櫓と内堀

人質櫓と内堀

着到櫓と内堀

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