№391

日出城

築城者;慶長七年 木下延俊
所在地:大分県速見郡日出町二の丸

 《暘谷城》

日出城は、国東半島の東側入り口に位置し、海上交通では豊後一、二といわれる良港、
日出港を郭内に取り込んだ水際城郭である。築城は慶長六年(1601)播州姫路より
三万石で入部した木下延俊(豊臣秀吉の正室北の政所の兄家定の三男)によって同年
秋着工、翌年八月に完成されたとされているが、入部早々の小大名が短期間で築いた
とは思えない過分な城郭となっているのは、当時豊前中津城主の細川忠興が義兄であり
多大な援助があったためである。

縄張りは細川忠興自ら担当し、築城人夫や石垣師穴生理右衛門を派遣するなど、大変な
力の入れようであったが、これは、細川氏が後に築いた豊前小倉城と比較して野面積み
の緩やかな直線勾配の天守台、装飾的破風のない天守などに共通点がみられる。

登城日 平成二十二年(2010)二月七日  作成日 平成二十二年四月二十一日

九州の城巡りも終盤になってきたが、日出城だけは行っておきたい城なので迷わず車を走らす。
こんな時にも距離、到着時間と小刻みに表示するナビの力が発揮してくれます。
想定時間に到着!。早速小学生に、ここは日出城跡ですか? と聞いてみると そうだよ!
と、言って家路にと急いで帰られた。あぶないおじさんにみられたかなぁ~
(/ω\*)。

予想外の石積みに残り少ないメモリを気にしながらシャッターを押す!
正門のまえで暘谷城跡の城碑の写真を撮っていますと、校内から先生が出て来られ、東の石垣が
とても綺麗ですから撮られたら良いとおもいます。と教えていただきました。
m(_ * _ )m

裏門横に鐘楼が建っているが、
この鐘は三代藩主・木下俊長が
鋳造させたものだそうだ。

正門横に、『暘谷城跡』の石碑

天守台まで犬走りが続いている

本丸北側の堀の東側部分

本丸西側の堀。
深さ10m幅15m

日出城復元図

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