春日山城

春日山

上杉三郎景虎の屋敷跡

土塁

天守台跡

御成街道

城のある標高182mの春日山は
雨天空のドーナツの中心にあった

春日山の周りは雨が降っていましたが
駐車場に着き傘無しで1時間余の
城巡りが楽しめました。

時の関白近衛前嗣が通った
ことから、御成街道と呼ば
れています。前嗣は永禄三年
謙信を頼って越後府中に下向
し三年間滞在しました。

廃城後四百年の星霜を経て、今なお満々と水をたたえてる大井戸は
春日山城が山城として最適の地に造られていることを教えてくれる。
城の古地図にも、井戸があることを示しており古くから注目されて
いたことがわかる。

井戸曲輪

南隣の天守台とともに春日山城の『お天上』と呼ばれたところです。
標高182mの本丸からは、かつての越中府中(直江津)と周辺の
山々の支城跡や日本海が一望できます。関川右岸に広がる、林に
囲まれた村落が点在する風景は、慶長二年(1597)の『越後国絵図』
に描かれた中世の景観とほとんどかわりません。

春日山の周りが雨が降っているのがうそのような、天守台跡です。
天守台跡の上空で渦を巻いているのがわかると思いますが、雲が
中心で激しく回っていました。天守台跡だけが太陽が望めて、木の
影ができていました。これも晴れ男の息子の力なのか

本丸跡

春日山城内で最も良好に残っている土塁跡です。
郭を普請する際、削平にしたときに出た土を
盛り堅め防御の役割を果たしました。
当時は、各郭にこのような土塁が築かれ
春日山城の守備をいっそう強固にしていたと
想像されます。

上杉謙信の死後、跡目を争った『御館の乱』で
敗れた悲劇の武将三郎影虎。小田原城主北条氏康の子で
人質として春日山城にきました。
謙信から影虎の名を与えられたことから、破格の待遇で
あったことがわかります。また美男として伝えられています。

築城者:長尾氏
築城年:南北朝時代
遺構  郭跡・土塁
     空堀・井戸

№355

登城日:平成二十一年(2009)十一月二十一日  作成日:十一月二十三日

朝1時に高槻を出発して大山崎より名神自動車道に入る。降水確率90㌫に晴れ男の息子が挑む
福井県辺りからよこなぐりの風雨に、息子も一言
『今回はダメかも』と消極的。
これから東京に切り替えても良いけど、の私の言葉に、新潟を主張する

朝6時、新潟に入り、雨天の空に一瞬の朝日が望めた
。いけるかも
ズバリでした。今回こそ、晴れ男の息子と一緒でよかったなぁ

雨天の空に一瞬太陽が

《鉢ヶ峰城》

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