多聞城
築城者 松永久秀
築城年 永禄三年(1560)
所在地奈良県奈良市多門町
標高115b 比高30b
遺構 郭、空堀、堀切、土塁
269
《多聞山城》
雰囲気を盛り上げる土塀
土塀を過ぎ、石段の右にある城碑
登城道が車道になっている
堀切跡
土塁跡
登城日 平成二十年(2008)九月二十八日
作成日 平成二十年(2008)十月二十五日
編集日 平成二十二年(2010)九月五日
予定では奈良公園に寄って多聞城となっていましたが、奈良公園の駐車場が満車で
この多聞城を優先しました。多聞城跡は、奈良市北部に位置する佐保山丘陵にあり、
現在は若草中学校、仁正皇后陵、聖武天皇陵などになっています。近鉄奈良駅から
北へ1.2q。国道369号『県庁東』信号から800m程北上した『転害門前』信号を
左折して、県道104号に入ります。200m程西進した路地を『右角に衣川鍼灸医院』
右折し(若草中学校の案内あり)、300m程北上(直ぐにV字型になっていて、
その公民館を左に進む)すると正面に若草中学校の正門に突き当たります。
その若草中学校の正門をまっすぐに入った先に城址碑がありますが、学校の敷地内に
入ることはかなり慎重にならないといけません。事前に連絡をいれらせてもらいましたので、
安心して訪問しましたが日曜日でしたが、正門は開かれていました。正門を入って右手に
中学校建設に際して出土した石仏が祀られているが、かつては石垣に使われていたものと思われる。
そのまま進むと、石段の右手に中学校卒業生が建てた城碑があります。
この石段も中学校建設の時につくったそうです。
現在残る遺構としては丘陵地の東部に堀切が道になっている地点と、中学校裏手に堀跡だった
ところを見ることができるようです。
校舎側と運動場の間(道路)に堀切があり、石段がありますので下りて堀切から城郭を見上げると、
ここが多聞櫓の呼称の発祥であり、四層櫓があった城跡なんですね。と、しみじみと思いふけました。