新庄城

新庄城(新庄陣屋)は桑山氏が屋敷山古墳を中心に陣屋を築いたものです。
その際に古墳の埋葬施設などは破壊されたようです。天和二年(1682)、四代藩主一尹の時、
桑山氏は勅使に不敬があったということで改易されました。延宝八年(1680)永井直圓が
入封しましたが、幕末の文久三年(1863)、永井直壮は櫛羅に陣屋を移転しました。
現在、城跡は屋敷山公園として屋敷山古墳と一帯を公園として整備されています。

新庄城(新庄陣屋)は屋敷山古墳を利用した城でした。屋敷山古墳は国指定史跡になっている
前方後円墳で、全長約百三十五m 後円部径約七十七m、前方部幅約九十m以上の規模を持つ前方後円墳です。
屋敷山の名は、中世から近世にかけてこの地を支配した布施氏が居館として利用したことによります。
桑山一晴が紀伊国和歌山から一万六千石で入封、一晴が没すると弟一直が家督を嗣ぎました。
                               現地案内板より

築城者:桑山一晴 慶長五年(1600)
所在地:奈良県葛城市南藤井十七

本丸に通じる石段の左に説明板、右に城碑がありました

内 堀

内 堀

帯曲輪から堀を観る

二の丸の堀切

二の丸の土塁

二の丸から本丸へ

本 丸

本丸のベンチ

本丸からの眺め

№432

登城日:2010年10月17日  作成日:2011年01月16日

屋敷山古墳専用駐車場(無料)に車を停め、新庄中学校のグランド沿いに進むと
屋敷山公園入口がありました。

二の丸を進むと、空堀・土塁があり堀に噴水がありました。
ちょっと??‥‥かな

本丸に上がる石段の際に説明板と城碑があり40数段を登り本丸からの見晴らしは
木々が生い茂っていなければ最高でしたね!

冬季に再訪したい城でした。

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