№393
林城
築城者:小笠原氏 天文年間頃
所在地:長野県松本市里山辺
信濃守護の小笠原氏が本拠とおした山城で、本郭は標高八百五十二mの
山頂にある。近くに林小城もつほか、付近に多くの支城を配していた。
しかし、天文十七年(1548)武田信玄が塩尻峠を急襲して小笠原勢を追い
翌年、拾kmの距離にある村井城を落とすと、林城はじめ付近の城から
城兵が四散、小笠原長時はやむなく村上義清を頼って落ちた。
信玄は、林城を破壊して深志城を強化した。
駐車場にある案内板
登城道途中からの駐車場をみる
雪溜りを避けながら進む
一ノ門で縄張りを確認する
登城道は全面雪!
遭難の恐れあり、登城を断念!
登城日 平成22年3月13日 作成日 平成22年5月23日
雪の松本城をカメラに納めようと計画しましたが、一日のずれで雪の無い松本城でした。
周辺の城をを検索すると、林城が上がってきましたので松本城より、林城に移動。
20分程で林城の駐車場に着き、雪の松本城を観れ無かったので、雪があると良いなぁ~、
なんて話ながら登城開始!。少し上がると雪の固まりがあり、おぉ!おおぉ!!と声を
だしながら山頂へと進む。一ノ門跡で、縄張り図を観て2人とも固まる!!
登城道は雪で、山々も風がきつく軽装の2人は遭難の恐れがあるので断念しました。無念!
妻籠城
№394
築城者:木曽義昌 天正十年(1582)
所在地:長野県木曽郡南木曽町
天正十二年(1585)の小牧長久手の戦いの際、豊臣方の木曾義昌の武将山村良勝
が、寡兵でこの城を守った。徳川方の菅沼定利が、伊郡と諏訪の諸将を指揮して
攻撃したがついに落とすことはできなかった。また、慶長五年(1600)大軍を率
いて西進した徳川秀忠は、この城に着いた時、関ヶ原合戦が終わったことを知った。
妻籠城の案内板
中仙道・妻籠宿・妻籠城の分岐点
妻籠宿
林城から中山道沿いに南下。雪道で除雪車がまえを走っていた。峠に近づくにつれ雪は
本降りになり、雪の宮ノ越宿を過ぎ奈良井宿で考え込む。が、そのまま進み須原宿で雪が
無くなりホッとする。
妻籠城の登城口に古びた茶店がありましたが、訪れた時は荒れ果てた状態でした。
登城道をどんどん上がって行き、15分ほどで主郭に着きますが、途中堀切らしい谷が?
また、土塁が確認できました。主郭から眼下に妻籠宿が観え、山に雲がかかり
しばらく主郭からの展望を楽しみました。のち妻籠宿へと進みます。
奈良井宿
贄川峠
妻籠城の本丸
中
仙
道
妻
籠
宿
妻
籠
城
再訪日 平成二十三年(2011)一月八日 作成日 平成二十三年(2011)三月六日
城の登り口で、昨年の遭難しかかった事を思い出し、躊躇する
今年は一人旅ですので、温かくなった季節に再訪することで納得!!
寒いので急いで車に戻り、次の目的地へ=3=3