飫肥城

飫肥城は、飫肥の町の北側、蛇行する酒谷川に抱きかかえられた丘の上に築かれた。
創建年代は明らかではないが、長禄二年(1458)に薩摩・島津氏の一族、新納忠続が
志布城より入城した記録がある。

このあと島津忠朝・忠広と続き、忠朝の時、鎌倉時代から勢力を広げていた
都於郡城を本拠とする伊東氏の大軍の攻撃によって城を明け渡した。
以後、何度も島津・伊東両氏の間で飫肥城の争奪が繰りひろげられ、日本歴史上最長の
百年に及ぶ攻防戦が続いたことはあまりにも有名である。

天正十六年(1588)豊臣秀吉の九州平定に戦功を立てた伊東祐兵が秀吉の命で封じられて
からで、その後十四代、二百八十余年、伊東氏の居城として続いた。
                           日本の名城・古城事典より

築城者:貞和二年(1346)水間栄證
所在地:宮崎県日南市飫肥10-1

№378

大手道から大手門

大手門側の堀跡

城内から大手門

旧松尾の丸跡に復元された御殿

二月六日なのに桜が満開

旧本丸裏門

旧本丸跡と飫肥杉

旧本丸跡の土塁

本丸へ上がる枡形

登城日 平成二十二年(2010)二月六日  作成日 平成二十二年(2010)三月二日

鹿児島から宮崎に入ってきたが、飫肥城の駐車場で4時過ぎである。
城に向かっている途中の飫肥天のお店も閉店の用意をしていました。
飫肥天も食べたいし
、城にも行きたい。しかし城をとりました

駐車場から登城通りに入ると、正面に登城門がみえ手前に掘跡が
写真を撮り、急いで壮大な城内を散策しますが時間が気になり早足になる。
白壁・石積みを観察しながら、歴史を感じる石段を踏みしめ松尾の丸前で
桜の花が満開には驚きました。で松尾の丸の石段を上がったときに時間オーバー

のち、本丸に進みましたが、時間がゆったりと流れ、癒し系ですねぇ。
旧本丸の写真で飫肥杉が伐採されていますが、この飫肥杉が大手門の柱として
使われているそうです。

気温 14度
天候 晴れ

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