百地城

築城者:百地丹波守秦光
築城年:天文十三年(1544年)
所在地:三重県伊賀市喰代字城谷

室町期、伊賀の忍者の代表格である百地氏の本拠とされます。
初代が百地丹波守秦光とされ、史料から天文十三年(1544年)には
その名が見え、この頃には伊賀の有力勢力になっていたとされます。
天正九年(1581年)の織田信長の伊賀侵攻であり天正伊賀の乱では
百地氏は名張の柏原に立て籠もり信長に抵抗しますが、その後の消息は
不明とのことです。 
現地案内板より

この城の百地氏の菩提寺
青雲寺と、手前に池がある
一瞬堀と思ったほど大きな
池でした。

青雲寺に登る坂の左手に
搦め手口があります。

矢倉台とされる墓地からの
展望は現在でもすばらしい。

自然地形を利用した堀、東側
には堀切と、進入路を屈曲
させるなど防御の工夫を凝
らしているのがわかります。

この坂道をあがれば主郭で
主郭は、土塁に囲まれています
百地城は堅固な居城でした。

案内板に百地氏城跡と書いて
いますが、地元の方に訪ねます
と、百地砦と言ってましたね。

《百地砦》

登城日 平成二十一年(2009)十一月二十八日  作成日 平成二十一年十二月一日

朝7時半頃に伊賀市に入り、百地城を目指しました。紅葉した山の麓を縫うように
道は続いていました。百地城近くで農作業をされている方が、こちらを見て手を上げて
いましたので、車を路肩に寄せ近くに歩いていきますと、その方はたぶん百地砦に行くん
だろうと思い手を振ったと言っていました。百地砦は青雲寺が管理していて、その青雲寺
の本山だが不便なので住職は下の寺に居る。と教えて頂きました。昼頃に上がってくるだ
ろうとお茶をごちそうになり、約1時間もお城の秘話を聞かして頂きました。

主郭に入りますと、
忍者かと思う人影が、木から木に飛び移ってこちらを威嚇している
ようでした
。よ~~く見ると、お猿さんが木の上からこちらを見ていましたね(σ'v`σ)

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主郭

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