神戸城

№523

築城者:関盛澄 貞治六年(1367)
所在地:三重県鈴鹿市神戸5丁目

南北朝時代の貞治六年(1367)亀山城主関盛政の長男盛澄は領地を分け与えられ、神戸に沢城を築いて神戸氏を称した。
弘治年間(1555~57)神戸利盛は城を神戸に移し、二つの支城、岸岡城と高岡城も築いた。
この利盛の時、近江の六角氏が柿城の佐脇氏を攻め、利盛が佐脇氏の救援に行った留守に家臣が神戸城を奪うなどの
ことがあったが、利盛が奪い返し、六角氏は関氏、神戸氏と結婚政策によって友好関係をつくった。

永禄十年(1567)織田信長は、滝川一益に神戸氏を攻撃させたが、神戸城の支城、高岡城を守る山路弾正にはばまれ
結局、信長の三男信孝を神戸氏の養子にする条件で和睦した。

登城日:平成二十五年(2013)一月六日  作成日:平成二十五年一月十三日

なばなの里に行く途中、神戸城に寄ってみました。城跡は、神戸公園となって整備されていました。
城跡は、本丸の内堀・土塁が残り、天守台に驚愕! まず天守台の周りを一周し、石段を上がる。
天守台の中央に休憩所がありましたが、気温が低いので、眺望を楽しみ急いで車にもどりました。

天守台のうえに休憩所が設けられています

南西からの内堀

天守台から内堀を観る

天守台の石段

北東から天守台を観る

神戸城の説明板

説明板まえからの天守台

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