淀古城

築城者:畠山政長 室町時代中期
所在地:京都府京都市伏見区納所北城堀 (妙教寺)

№477

淀古城は宇治・木津・淀・桂の諸河川の合流点付近にあって三面を水に囲まれた
天然の要害で、水陸交通の要衝とおおして槇嶋城と並ぶ洛南の二大軍事拠点の
一つであった。『東院年中行事記』の文明十年(1478)八月十一日条に「山城守
護代遊佐弾正の代(中略)神保与三左衛門淀へ入部す」とあり、山城国乙訓・紀伊
郡代神保与三左衛門尉が入部した守護所(郡代役所)として記されている。

永禄元年(1504)九月、摂津守護代薬師寺元長がこの地に拠って細川政元に叛旗を
翻しているのも、当城が要衝であるゆえんを示すものと思われる。

明応二年(1493)細川氏の山城国掌握以降、守護代級の被官によって守護されてき
たが、永禄二年(1559)八月、京畿をほぼ統一した三好長径は細川氏綱を淀城に配
して。ついで三好長逸の内者金子某が入部した。

しかし同十一年、織田信長の入京と同時に織田氏の軍勢の焼掠にあって落城した。
本能寺の変後、明智光秀が修理したが秀吉の天下となって同十七年三月羽柴秀長が
再び修築して秀吉の側室淀殿が入り、文禄元年(1592)には木村常陸介が居城とし
たが、同四年廃城となった。

妙教寺の山門

淀川沿いに進みます

集落に入り、右折します

妙教寺の本堂

妙教寺の境内

大正時代の淀古城周辺の地図

明治時代の淀古城周辺の地図

妙教示の山門

妙教寺境内の淀古城碑

妙教寺境内の淀古城碑

登城日:平成二十三年(2011)十月九日日  作成日:平成二十三年十月二十七日

槇嶋城より淀古城にやってきました。京都競馬場近くの納所交差点を左斜めの細い道に
入り、しばらく進むと右に妙教寺の案内板がありました。道は狭いですが突き当たりに
淀古城跡(妙教寺)があり、右手前に10台ほど停められる無料駐車場がありました。

山門の手前に掲示板があり、伏見城のポスターが貼られていました。
周辺は民家が建てこみ、城跡の雰囲気は感じることはできませんが、妙教寺の駐車場
奥に、堀跡?かと思う一段低くなっている箇所がありました。

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