馬堀城
築城者:
所在地:京都府亀岡市篠町馬堀
天正年間(1573~92)山田家の先祖城割代官山田五兵衛なる人物が、当城に拠っていた
ことが記されている。そして馬堀村は築城工事のための大工が集住する大工村となって
亀山城築城に当たっており、五層の天守を完成させたといわれているが、その後、山田
氏一族の名は築城の秘密を守るためか消されており、代が替わった後も山田家は亀岡城
の絵図面を提出せよというきつい達しを受け、男子は姿を消したといわれている。
そして山田家の男子は亀山城の大堀の鯰になったと言い伝えられており、以後、馬堀・
山本の地の人々は絶対に鯰を口にせず、きびしくそれが守られているといわれています。
また、東方に造成された見晴団地の一部になっている崖地は、かつて馬堀城の見張台の
あった所で、いまでも清水がこんこんと湧き出し、室町時代の地蔵が数基祀られており
当時の自然景観がよく保存されている。 日本城郭体系より
≪標高95m≫
≪比高9m≫
№515
本丸(駐車場)から、JR馬堀駅を観る
本丸北側に造られたJR馬堀駅のプラットホーム
本丸の土塁跡
本丸の堀跡
馬堀城要図
旧京街道(山陰道)
旧京街道(山陰道)
登城日平成二十四年(2012)八月十八日 作成日平成二十四年十月八日
亀岡市の亀山城築城に関わっている、馬堀城を訪れました。馬堀駅の駐車場に車を停め
周りを見渡すが、これといった遺構は見当たらず土塁跡・堀跡を確認して、旧京街道を通り
いつのも、お蕎麦屋さんでソバを食べ、六甲山に向う。