上久世城跡

築城者:寒川元光 応永年間(1394~1427)
所在地:京都府南区久世上久世町454 (久世西小学校)

応永年間(1394~1427)頃に、上久世荘公文職として寒川元光の名がみられる。
上久世城はこの
寒川氏の居城として築かれたものと推測されている。
十四世紀前半頃から元光は讃岐寒川氏の一族とされ、細川氏に従って山城国に入り、上久世荘の
公文職を真板氏から勝ち取ったものとみられている。
明応七年(1498)の文書には公文寒川家光の名が現れる。

上久世荘の住人として、他に和田氏、利倉氏、恋川氏、上久世氏といった名が確認できる。
この
恋川氏については、文亀永正年間(1501~20)ごろに恋川清景が利倉安弘に討たれた。
また、
利倉氏は後に革島氏から革島政宣を養子に迎えたとされる。
天正四年
(1576)には古田重然(織部)が上久世の代官となっている。

№479

久世西小学校の正門

久世西小学校東側の堀跡

登城日:平成二十三年(2011)十月二十二日  作成日:平成二十三年十一月二日

久世西小学校西校門で散策していると、小学校に隣接している会社の方に何を探して
いるのかな? と、聞かれました。

久世西小学校が上久世城跡と思いますので、何かご存知ですか?とお聞きすると
そんな話は聞いた事は無いから、今日はソフトボールをやっているので先生に聞い
たら良いねん。ということで、小学校の正門から入り、先生にお尋ねしました。

若い先生二人に教えていただきました。城主は寒川氏で東の用水路が堀跡と言い伝えられて
いますが、詳しいことはわかりません。と、寒川氏と堀跡の言葉に城跡と確信しました!

下久世城跡

№480

築城者:久世実綱 応永十年(1403)
所在地:京都府京都市南区久世殿城町4 (祐楽寺)

下久世荘公文職久世氏の居城とされる。城跡に建つ佑楽寺には、文安四年(1477)に
七十三歳で没した久世山城守実綱の位牌が残されている。位牌には久世氏が源氏の
流れを汲むことも記されているが、詳しい出自は不明である。

明応文亀年間(1492~1503)ごろの公文として久世弘成・同弘之の名が
大永年間(1521~27)には久世弘文の名がみられる。久世氏は、江戸時代には明石藩の
藩士となったとされる。廃城時期は不明である

斜め前の交差点(久世殿城)

ズームにすると!

城主久世実綱のお墓

堀跡の墓所

国道1号線沿いの裕楽寺

登城日:平成二十三年(2011)十月二十二日  作成日:平成二十三年十一月二日

本日最終の城、下久世城跡の裕楽寺に着き交差点を観て驚愕! 久世殿城となっていました。
裕楽寺の駐車場はありませんので、近くのコンビにでジュースを買いしばらく停めさせて
くださいとお願いしました。

久世殿城の交差点を渡り、裕楽寺の住職さんはと近くの本寺に居られ、奥様が留守をあずかってました。

山門をくぐり、左に進むと一段低くなっています。ここが内堀とされているところで、現在墓地
となっています。墓所の一番奥に久世家の墓石が並んでいました。

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