宮津城
築城者:細川藤孝 天正八年(1580)
所在地:京都府宮津市外側2508
№522
宮津城は、宮津駅の西北電報電話局付近を本丸として、二の丸・三の丸を二重堀で囲んだ
輪郭式の平城であった。京極高広の築城によろうものだが、これより以前、三の丸の付近に
細川幽斎(藤孝)の宮津があった。
室町時代当地方は、一色氏の治めるところであったが、天文六年(1537)細川幽斎が
織田信長の命令で、一色一族を攻略した。その功績で幽斎は、天正八年(1580)田辺(舞鶴)
に城を築き、同十二年子の忠興に譲って宮津の八幡山にあった一色氏の居城を再築して入城した。
高知隠居後の宮津城は、外堀の東に隠居所が設けられたものの、天守はつくられなかった。
その代用として城内八ヶ所に櫓を置き、西に外堀とした大手川に橋を掛け、東側の外堀に至る
間に六ヶ所の城門を配した。
現在、宮津小学校に移築して保存されている、太鼓門は四脚門で、そばに太鼓堂があったことから
この名がつけられた。
太鼓門
太鼓門のまえに大手川
太鼓門の鏡柱と八双と乳金物
本丸跡の説明板
右の写真を見やすく修正しました
旭橋跡
宮津警察裏に宮津城の石の設置方向を示していました
宮津城に使われていた石の説明板
宮津商業学校まえの宮津城に使われていた石
登城日:平成二十四年(2012)十月十四日 作成日:平成二十五年(2013)一月八日
丹後半島を周って帰路の途中、宮津城跡を散策しました。宮津小学校をナビに入力し、一周して太鼓門まえに
車を停める。通行量は少ないので写真も撮りやすい。校内は次回にして、宮津警察近くの案内板を探す。
駐車場裏に説明板はありますが、年月が経っているので読み難いが、カメラに収める。
次は、宮津城に使われていた石を探すので、宮津城の石の矢印方向に進むが探せない
国道に出て、帰ろうと思い宮津商業高校のまえの信号で止まり、左を観ると宮津城の石が!!
慌てて、路地に車を停め、カメラに収めました。よかった!