槇島城

築城者:長瀬左衛門 承久三年(1221)
所在地:京都府宇治市槇島町北内156(槇島公園)

№476

槇嶋城は豊臣秀吉が伏見城築城に祭して宇治川の流路を現在のように付け替えるまで
旧宇治川が分流する中州になっていたと考えられる場所で、宇治川に囲まれ、防禦には
最適の地であったと思われる

承久三年の乱でも、後島羽上皇方は長瀬左衛門の軍勢五百余人を当城守護のために
配置している。ついで、明応八年(1499)、畠山義就と政長の両畠山氏の対立が激しく
なった時、宇治・槇嶋の合戦で当城は細川政元の軍勢の攻撃を受けて落城している。

つづいて当城が世の関心をひくようになったのは、天正元年(1573)将軍足利利義昭が
織田信長に叛旗を翻した時である。この時、義昭は京都二条第を三淵藤英らに守らせ
みずからは槇嶋城で三千七百余の軍勢で挙兵した。

道路から一段高くなっています

槇島公園入口

槇島公園の南西角

槇島城跡の案内板

城跡の南から眺めた城碑

槇島公園の南西隅にある城碑と案内板

登城日:平成二十三年(2011)十月九日  作成日:平成二十三年十月十九日

西一口城跡から槇島城跡付近に来て、日本城郭大系に載っている写真とはちがって農協槇島
支所は無くなっていて、槇島公園内に新しく城碑が建てられていました。

槇島公園から二筋西に農協跡の建物は残っていましたので、入口に建っていた城碑を探しまし
ましたが見つからず、槇島公園内にある案内板を観ると、この周辺が城跡ということで納得!

◎三十数年まえに、農協槇島支所入口に建っていた城碑は、何処にいったのでしょうね

槇島城跡の城碑と案内板

登城日:平成二十三年(2011)十一月五日  作成日:平成二十三年十二月三日

昭和五十三年の宇治市農協支所前の槇嶋城碑

現在は施設となり、城碑が無くなっている

対岸(平等院側)に槇嶋城の石垣の石が活用されている

ズームで撮ると

槇嶋城の石碑を探し周辺の公園を散策中、地域にお住まいの畑中様が槇嶋城の石垣は、
対岸の堤防として活用していると聞き、急いで堤防に駆け上がる!

次回は畑中様にご紹介していただいた辻様にお会いし、槇嶋城の由来をお聞きし、
公園の城碑と、対岸の石を確認もして来たいとおもっています。

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