開田城

築城者:中小路氏 室町時代後期
所在地:京都府長岡京市天神1-1-48
旧所在地:京都府長岡京市開田城ノ内

№482

開田城は犬川の上流、西国街道を挟んで勝竜寺城とは反対側の北方に位置し、老ノ坂から山崎へ抜ける丹波道をも掌握できる
地点にあった。『大乗院寺社雑事記』の文明二年(1470)四月十八日条に「西岡に於て日々合戦あり、開田城並びに勝竜寺城
山名弾正並びに丹波勢これを責むと伝々」とあるのが、初見であると共に当城に関する唯一の文献である。

恐らく応仁の乱勃発直後、土豪中小路氏の居館が畠山義就の西岡占領と同時に城郭として利用されたものと思われるが
当時のこの地方の軍事情勢からみてその推測は確実と考えられる。

昭和五十三年十二月に阪急電鉄長岡天神駅西北方約100mの地点において梅華学院のプール建設に伴う発掘調査が実施され
土塁と南側の堀の状況が判明し、東西・南北とも80mの規模で、堀幅は約10m深さ50cm~2m50cm、土塁の幅5m、高さ1m7cm
の平城であったと推定されている。また、東方の三尊寺も城郭の一部として利用されていたものと考えられる。
                                     日本城郭大系より

大阪より馬場交差点を左折する

土塁の断面

マンションの入口に土塁

マンション建設前の城郭の右に土塁

バス停のうしろに開田城土塁公園

開田城土塁公園の説明板

土塁中央に開田城土塁公園の碑

登城日:平成二十三年(2011)十一月五日  作成日:平成二十三年十一月十三日

大阪から国道171号線を京都に向け進み、馬場交差点を左折する。Y字の交差点を左にとり、300m程すすむと
左のマンション前に開田城土塁公園があります。駐車場はありませんので早朝に訪れました。

土塁の断面にタイルが貼られ、壮大な城郭が想像できました。駐車所を探し、改めて訪れたいと思います。

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