今里城
№483
築城者:能勢源左衛門尉頼弘 寛正年間(1460~66)
所在地:京都府長岡京市今里2丁目
今里城は室町時代の中ごろ、能勢源左衛門尉頼弘が乙訓郡西岡郷今里郷に居を移した後、
寛正年間(1460~66)に築城された。能勢氏はこの後今里城に居城し、代々足利将軍家に仕えた。
永正四年(1507)、細川政元が家督相続のもつれから発生した永正の錯乱で謀殺された。
能勢賢頼は細川高国に味方したが、永正十二年(1515)の下京の戦いで討死した。
賢頼の子頼行は、足利13代将軍義晴に仕えて、大永六年(1526)には石清水八幡宮参詣に
供奉している記録が残されている。
頼行の弟光頼は、足利14代将軍義輝に仕えたが、永禄八年(1565)、義輝が松永久秀ら三好三人衆に
よって殺害されると都を辞して今里城に戻った。永禄十一年(1568)、足利義昭が織田信長の後援で
上洛し、十五代将軍に就くと、光頼の子頼広は義昭に出仕して、再び将軍家に仕えた。
登城日:平成二十三年(2011)十一月五日 作成日:平成二十三年十一月十三日
今里城の案内板
今里郵便局を目指してやって来て、郵便局の西隣のマンションのまえの案内板を発見!
案内板は陽に焼け、うすくなっていましたが、なんとか確認できました。
城郭など遺構と由来が載っていて、マンション・駐車場の地下に今里城の遺構が
残っていると思うとゾクゾクしますね。ナビで観ると、城郭の周りに堀跡か!!
案内板の航空写真
険出遺構図
ナビで確認
登城道と左が今里城跡
マンションに隣接する城山駐車場