知覧城

 №371

築城者:平安時代末期  知覧忠信
所在地:鹿児島県南九州市知覧町永里

室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光が
この地の領主となりました。その後、島津氏の内訌に伴い一時
伊集院頼久一族の配下となりましたが、応永二十七年(1420)
島津久豊が伊集院一族からこの城を取り返し、再び佐多氏の
居城となりました。その後、文禄検地等で多少の異動はあったものの
佐多氏は幕末まで知覧領主でありました。しかし、十一代当主・佐多久達
の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に知覧城は
実質上廃城となりました。       
案内板より

駐車場よこの案内板前で

登城道の案内板

堀 切

4つの主曲輪があり、楽しみですね

《上之木場》

駐車場から本丸に進んでいくと、空堀跡があります。
たくさんの空堀をぬけて、本丸に近づいてくると
ドキドキしてきました!。

本丸跡

虎口から本丸に入りますと、周りは土塁で囲まれ防御は
完璧の城郭でした

虎 口

駐車場から約20分ほど空堀を進むと、本丸にあがる細い
坂道があります。曲がりくねった坂道を上がっていきますと
虎口があり、突如目の前が開けます。

蔵之城の登城道

本丸から空堀に下り、蔵の城に挑みました。
階段の左にあるポストに、知覧城のパンフレットが入っている
ようでしたが、残念ながら1枚も入っていませんでした。

見取り図

写真入で蔵之城の説明を書いてあり参考になりました。
空堀だけでは無く、一部水堀もあったようですね。

武家屋敷

武家屋敷通り

武家屋敷の門内は屋敷内に石垣。

コカ・コーラも和風に

亀甲城

知覧型二ツ家

登城道の石段

登城道の石垣

登城日 平成22年(2010)2月6日    作成日 平成22年2月20日

昨年の2月5日からの九州の旅で、鹿児島までとどかず。リベンジで同じ5日の夜10時に出発!
知覧城に7時すぎに到着。広い駐車場に先客1台。駐車場側の案内板のまえで、まず記念写真。
空堀を縫うように本丸に進みましたが、壮大な城郭に迷いますね。yoriさんに頂いた縄張りを
頼りに本丸~蔵之城と進み楽しい約1時間がすぎました。時計と睨めっこしながら武家屋敷・亀甲城
と周って、鹿児島城へとハンドルを切ります。

inserted by FC2 system