鹿児島城

《鶴丸城》

鹿児島城が築城されたのは、慶長七年(1602)、十九代家久のときである。
城の場所の選定で、家久と、先代で父である義弘との間に対立があった。
家久は新しい時代にふさわしい城と町づくりを構想し、義弘は戦略的にも財政的にも
七代元久以来、八代にわたって島津氏が本拠にしていた清水城にこだわったのである。

結局家久は主張どおり城山の麓に築城とともに武家屋敷と町人町を分け、甲突川筋の改修
海岸の埋め立てなどで城下町を進めてきた。上級武士は、現在も地名が残る千石馬場
高見馬場などに、下級武士は加治屋町などに住まわせた。この加治屋町には後の幕末から
明治にかけて西郷隆盛・大久保利通・東郷平八郎ら英傑が生まれた。
                          日本の名城・古城事典
より

 №373

築城者:島津家久 慶長七年(1602) 
所在地:鹿児島県鹿児島市城山麓

西郷隆盛が立て籠もった城山

鹿児島城の北の端にあたる堀

魔よけのため鬼門の丑寅の石垣の
角が欠き取られています。

蓮の花が咲いている時期に
再訪してみたいですね。

七高生久遠の像

火山灰で櫻島の姿が‥‥

大手門

おびただしい弾痕

大手門の内側に枡形みえてきます

登城日 平成二十二年(2010)二月六日  作成日 平成二十二年(2010)二月二十六日

憧れの鹿児島城に、やっと訪れることができました! 橋を渡り、大手門に近づくと
おびただしい弾痕に、一瞬後退りしてしまいました。
一転して、北側の堀は蓮も枯れ風情が感じられましたね。

気温 12度 
天候 晴れ

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