由良古城

築城者:安宅頼藤 室町時代
所在地:
兵庫県洲本市由良町由良

№471

淡路は昔、淡路国として一国を成し、室町時代には四国と本州を結ぶ
交通の要衝であった。この紀伊半島から淡路、瀬戸内という海域を
重要視した室町幕府2代将軍義詮は、熊野の海賊衆であった安宅頼藤に
沼島の海賊退治を依頼し、頼藤はその時に本拠としての由良城と、7つの
支城を淡路各地に築いたという。
 
安宅氏は、清和源氏小笠原流とも橘氏の流れともいわれ、小笠原氏流説では
鎌倉末期の頼春の頃に四国阿波から熊野海賊制圧の為に紀伊国多知に移り
地名を名字である安宅に改めて本拠にしたとされる。ただ、阿波の安宅氏に
ついては、藤原氏としている史料もある。どちらにしろ、南北朝時代に将軍である
義詮から海賊退治を依頼されたというから、海賊衆としては大きな勢力を持ち
比較的幕府に近い存在であったらしい。また、鎌倉時代の淡路は小笠原氏が守護であり
沼島海賊も小笠原傘下であった為、安宅氏が小笠原流とするならば、小笠原残党と同じ
一族でありながら対立していた安宅氏に退治を命じたという可能性もある。

登城日:平成二十三年(2011)八月十三日  作成日:平成二十三年九月二十八日

洲本市内の海沿いを南下して目のまえに由良城山が観えてきました。成山島の渡しがある
桟橋のところを右折して、突き当りを左折する。大型車はたいへんでしょうが、昔はバスが
軒下をスレスレにはしっていました。由良港神社の駐車場に停め、参拝する。

境内の左隅に登城口があり、顕彰碑三基が建っていました。登城口は石畳で、しばらくすると
地道になり枯れ葉の道になり、城山らしくなってきました。山頂の本丸は30㎡ほどありました。

本堂のうしろに城山が観えています

由良城の遠望

鳥居・山門・の奥に本堂

由良湊神社

登城口に三基の顕彰碑

登城口

登城道

山頂近くの登城道

頂上に尾根がありました

本丸

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