柳沢城

築城者:柳沢隼人佐直孝
所在地:兵庫県淡路市柳沢

№365

永禄八年、初代城主柳沢隼人佐直孝は家臣をつれて播州乙城に赴き
十月十四日の戦いに討死しましたが、その後三代目城主弟、柳沢肥後貞直も
天正九年七月一日に一揆の為に、柳沢城付近で討死しています。

また、天正九年十一月には、三代目城主柳沢越前守直盛及び家老景山出雲たちが
淡洲攻防戦のため四国方面に退き、再び帰らぬ人となりました。
乱世の戦国時代大へん隆盛であった柳沢城も、多くの人達が討死したり
他国に落ちて行きました。

柳沢城が開城して二年後、高松城から帰郷した柳沢氏四代目柳沢五兵衛直忠は
この墓地に観音堂を建て、亡くなった多くの霊を慰めたといわれています。
また、直忠は年老いて髪をおとし入道となって自ら勘入と号し、朝夕霊を
なぐさめたと記録されています。ここに柳沢城の隆盛なりし、往古を偲ぶとともに
一族及び郎党たちの霊安からむことをいのります   合掌
                        
   現地案内板より

柳沢地区の公民館で
左にあるのがだんじり小屋
その後の山が柳沢城です。

だんじり小屋の側道を登って
行きますと、四段の曲輪が
確認できます。

本丸手前からの展望です

現在も内堀に満々と水を貯えています

二の丸から本丸をみる

本丸に通じる土橋

本丸に祀られている祠

三の丸の土塁

本丸を囲む土塁

登城日 平成二十一年十二月二十二日  作成日 平成二十二年一月二十一日
編集日 平成二十二年九月五日

平成二十一年の最後の城巡りは、淡路島。で、柳沢に同級生が居たのを思い出し、電話をして
みると暇を持て余していたとの事で、案内をしていただきました。10数年ぶりの再会で、
聞けば城山は遠○さんの山らしい。県道465線を走っていますと左に柳沢公民館・だんじり小屋
が見えてきます。その後の山が柳沢城で、途中見えてくる豪邸が今回案内して頂く、遠○邸です。


歴史の事はわからないが、子供の頃はこの辺りででよく遊んでいて、農繁期には長池の水を
田畑に使っていたと言っていました。何処から湧いているか今でもわからないそうです。

その池に案内してもらうと、池と言っていたのは内堀で、本丸を囲んでいました。

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