養宜館

築城者:細川師氏 南朝:興国元年、北朝:暦応三年(1340)
所在地:兵庫県南あわじ市八木養宜中

養宜館の存在期間は南北朝時代-戦国時代ということになっており、中世城館としては
後期に属するが、現存している遺構から手が加えられないとすると、養宜館は中世初期の
平地単濠単郭方形館をそのまま使用されていることになる。しかし、ここが細川氏代々の
守護館とすると、長方形の平地単濠単郭方形館だけではなかったと思われている。

土塁上には櫓台らしきものもが描かれた絵図もあり、曲輪内の各所にも改良が加えられ
それでも防備が不十分の面は他の場所と連携をはかり、戦国時代に適応した配備が
なされたものと考えられている。

№337

登城日:平成二十一年(2009)八月一日

2012年2月25日再訪

養宜館入口

土塁の館内

お堂

お堂

養宜館案内板

養宜館入口の前方に平成病院

館の周りが土塁で囲まれています

五輪等が無造作に置かれています

養宜館の碑

登城日平成二十四年(2012)二月二十五日  作成日平成二十四年二月二十五日

淡路島の平城で養宜館は何度訪れても癒されます。北側に『武田土居』・『中野土居』・
『弥五郎土居』があり、西側に『奥野土居』・『喜兵衛土居』・『上野土居』等の小字名が
集まっており、養宜館を中心に500mの範囲に点在しており屋敷町の構成を想像できる。
侍屋敷や町家も取り入れた惣構えが完成されていたと推察されているとおもいます。

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