志筑城

大化の改新以降の白鳳時代から奈良時代後期にかけて、志筑には淡路島最古の
寺院である志筑廃寺が存在していた。それは地元豪族が建立した社寺であったといわれ
藤原京・平城京時代には、志筑が港として重要な地域であり西浦に通じる拠点
であったことを物語っている。

平安時代には大きく分けて志筑庄・生穂庄・塩田庄の三つの庄園が開墾されており
現在の基礎となっている。その後鎌倉時代、室町時代を経て戦国時代に入ると
本地域は軍事拠点として重視され、志筑城・生穂城・塩田城など城砦が数多く築かれていった。

江戸時代に入ると、淡路は阿波藩蜂須賀氏の配下におかれ、志筑港・塩田港などの
整備とともに、志筑は淡路の交通の要所として繁栄しました。
                         
淡路市市役所の史料より

《土居山城》

高松殿館

築城者:菅土佐守
築城年:室町時代
所在地:兵庫県淡路市志筑南谷

№368

築城者:菅土佐守
築城年:室町時代
所在地:兵庫県淡路市志筑南

《志筑浜城》

№367

登城日 平成21年12月22日 作成日 平成22年1月13日 編集日平成22年9月5日

淡路島の岩屋から国道28号線を洲本市方面に南下、志筑交差点を右折します。
100mほど進むと、右側に淡路信用組合志筑支店があります。信号がありませんが
左折して、住宅街を突き当りまで進みます。突き当りを右折して200mほど進みますと、
左側に円明院があります。ここが志筑城の二の丸跡で、6~7台の無料駐車場完備です。
駐車場の右上の高台が墓地なっています。その墓地が本丸跡で先ほどの道をそのまま進み、
右折して竹林を300m進んだ東の先端が三の丸だそうです。
             淡路市教育委員会の学芸員小野さんの説明より

本丸跡

本丸から西の展望

本丸から東の展望

搦手道

三の丸への道

三の丸

私見 登城日平成二十一年十二月二十二日 作成日 平成二十二年一月十二日

岩屋から国道28号線を南下して、志筑交差点を右折して西に向かいます。
一つ目の交差点が『殿下』交差点でその周辺が高松殿館です。
遺構は残っていませんが、地名に『殿下』『殿』が残るのみです。

山城の志筑城では不便なので、城の麓に居館を建て
居館で日々を過し、戦いの時は山城の志筑城に
籠もったそうです。
            小野さんの説明より

交差点に『殿下』の文字が

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