№415

淡路七人衆のひとりにかぞえられた 小田将監公が約四百五十年まえに築城
名前も河上将監とか向井将監とも名のっていたそうです。
この仁井の小田は、淡路中でいちばん多く弥生式の土器がでてくるところです。
この不便な山奥の小田が二千年前から北淡路の中心であったともいえますね。
   

太閤秀吉が淡路攻めをして、淡路のお城がみんなやられてしまったとき
小田館もやられてしまいました。
原田哲夫氏の邸宅が建っている馬場跡は 熊の城ともいっています。
この馬場あとの下に、生首・生首塚も七ヶ所ぐらいあって、そこに家来のなかでも
おもな人、つまり家老級の首が埋めてあると話されていました。

この馬場跡の西側に一石五輪塔がたくさんありますが、みんな小田館の人たちを
お祭りしたものです。その上が殿の門、向いが三野に平。殿様が埋められている
のが将監薮で、石垣は無く叩き土居とか柴を植えた柴土居で屋敷を囲んでいた。
小田には建築の技師みたいな人が多く存在していたかも知れませんね。

この小田将監さんは、とっても質素なお方でマゲをワラでくくってとんぼじょりを
履いていたそうです。とんぼじょりとは足の半分ぐらいしか無く、かかとのほうは
土についてしまうので、かかとをあげてつま先で歩くことになる、小田は東浦から
上がっても西浦からきても登り坂だから、早く上がるためにも、つま立ててといった
のかも知れない。わらも半分で足りるから良く考えたもんだ。

そんな将監さんも北淡の人びとには、幸せに便利になるようにいろいろど努力を
して、ほんとうに偉い殿様でした。その将監さんの歌『黒竹やぶの将監に』が
今にのこっていますよ。

将監さんは戦いに敗れ、何もかも無くなってしまいました。そのご先祖さんを
思えば、我々子孫は お正月の三が日はおぞうにも食べないし、火も使わない
十二月十八日のご命日に将監やぶのおしめ張りかえ、ほうらくのなかに、かわらけ
を十二枚入れ、そのなかに、いり米やいり豆を入れてお祭りをします。
その後に十二のごへい、そのまえに十二本のろうそく、椿の葉に新米で作った甘酒を
部落中の人が持ってお祭りに来る。ほら貝を吹いてお経をあげて、それが済めば
あたらしい年がやってきますよ。
『地元の保地様に案内して頂きました』・『地元の向井様にお聞きしました』

小田館

≪小田氏館≫

築城者:小田将監
所在地:兵庫県淡路市小田583

馬場跡に建つ原田哲夫邸宅

原田哲夫氏の表札

案内していただいた保地氏

お堂にむかっている保地様

お堂に入らせて頂きました

原田哲夫さんも小田舘跡に眠られていました

登城日 平成22年(2010)8月8日 作成日 平成22年(2010)8月16日

蟇浦城より西浦の県道31号線を南下、豊島地区に入り淡路高校前の信号を左折。
道はうねりながら坂道を上がっていきます。淡路島の中央辺りに仁井郵便局が左に
次の道を左折します。目印は『保地みそ』のカンバンがありました。
過ぎれば淡路縦貫道が見えてきます。交差点を左折して500m進めば左に細い道があり
行き過ぎれば左に池があります。上がっていくとお堂がみえ、墓地になっています。
ここが小田舘跡で、眼下(300m)に馬場跡が確認できます。
今回の淡路島4城巡りは難しいと思っていましたが、淡路島のみなさまに助けていただき
4城を訪れることができ、貴重な史料もいただけましたことを ありがたく思います。

今回入手した史料の一部ですが、公開させてもらいます。

今も小田将監公が眠られている黒笹やぶ

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