野村城
城主は宮部吉祥坊というもので、剣術の達人であった。天正の頃 羽柴秀吉に従がって
軍功があり、また三木合戦の時にも武功をあらわし、英賀戦争にも功が多く、
且つ天正九年七月 秀吉の因州鳥取を攻めた時には、一方の旗頭として従い功があった。
播州古城蹟集録には
野村城、野村 本丸 東西拾九間 南北壱参間
二ノ丸 東西弐拾間 南北壱参間
三ノ丸 東西拾八間 南北壱参間
城主不知 別所長治幕下と説明されています。
今回お世話になりました、山の持ち主(安本氏)
宗佐八幡神社
本殿
城山と旧殿
横掘
50年まえに結んだ目印
本丸に入る安本氏
堀切
登城道
表示板
案内板
最初は広いが‥‥
徐々に狭くなり鎌を振りながら
墓 石
堀跡
登城日 平成二十三年(2011)二月二十一日 作成日 平成二十三年(2011)二月二十六日
八幡神社の駐車場に車を預け、石段をあがり社務所で宮司さんにお聞きすると、裏山が城山で
境内には遺構はありません!という事で、裏山に登ることにしました。
裏山に移動途中、地元らしい方にお聞きしたところ、『一緒に行ったるわ』と車に乗ってこられた
助手席から右・左と指示をしていただき、城山に着く手前で右の手に鎌が握られているのに気がついた
怖がらなくても良いから、と、鎌がキラりと光る!! でもなぁ~{{{{(+_+)}}}}
山に入り、鎌で蔦の蔓をズタズタ切開いて行き、その3~4m距離をとって後を着いて行く。
本丸の手前で、50年前に父親から教えてくれた本丸ということで、ナイロン・ロープで枝に結んだが
枝と枝がくっついて取れなくなっているが、そのままにしている。と、おっしゃっていました。
堀跡は、50年まえは4mはあったが、落ち葉で埋まってしまったともおっしゃっていました。
№440
駐車場まえの土塁