№412


         妙安寺城

 
文明元年(1469)日外親王は、京から淡路島の志筑に渡られ、中田の里に入られました。
堀に囲まれた小規模な 御所山に住まわれた日外親王の皇子、内蔵助のとき
その南側にあったお城のお殿様が、世つなぎが無く困っておられました。
お城のお殿様から、何度もお城をついで下さらないか。と、再三使いの人をよこしたり
お殿様じきじきにおこしになられ、内蔵助もお城をつぐことになりました。

城山の山頂は、たて54m・よこ21mあり、現在の妙安寺の平地を土居といい
ここにお殿様が住んでおられました。そして何かある時は、城山にある館に出ていかれ
御所山の麓には高場があり、馬がけがよく行われていました。
天正年間の蔵之助のとき敵に攻められ とうとう滅ぼされてしまいました。
京の都を逃れ、平和を願って生き抜かれた日外親王様を、そのまましてはもったいない
と、その魂をお祭りしようと 村の人たちの願いで建てられたのが 今の妙安寺です。
   
妙安寺城が落城して殿様の内蔵助は百姓になり、その子の又右衛門は、郡家城の
田村氏に仕え奉行をつとめ、その子三郎左衛門も父のあとをつぎ、二男の甚三郎は
分家をしました。今でも日外(あぐい)・安居(あぐい)・安居院(あぐいん)と
名のっている子孫が淡路各地に住んでおられます。30数年まえ、日外一族が30数人
日外親王の四百五十年祭を妙安寺で盛大にとりおこない、今にそのお心が生き続け
られています。               
郷土の城ものがたりより

築城者:日外内蔵助 文明年間
所在地:兵庫県淡路市中田

妙安寺城の遠望

小谷酒店の裏にある堀跡

本丸に通じる登城道

二の丸手前の土塁

本丸に建つ日外親王の供養塔

本丸から二の丸望む

妙安寺の参道

居館跡に建つ妙安寺

日外親王を祭られているお堂

日外親王の五輪等

登城日 平成22年8月8日 作成日 平成22年8月17日

8月8日の末広がりの日曜日、淡路島の史料の少ない城を4城選び挑戦して見ました。
淡路縦貫道の津名一宮から降り、突き当りを左折。中田中学校を左に見て右折。
500m~600m進むと、森に囲まれた左に妙安寺が見えてくる。ここが妙安寺城の居城跡です
参道を入って、右に本堂、左に20台は停められる無料の駐車場。徒歩で参道を出て左に200m
進むと右側に小谷酒店があり、その裏が堀跡です。150m戻って右に細い坂道があり進むと
二の丸・本丸があり、30数年まえに建てられた『日外親王』の供養塔が建てられていました。
学生の頃を思い出せば、お隣が日外さんで、友達に安居の名字の方が居ましたね。

妙安寺を囲むように山がありますが、この山が城跡で遺構は無し。宮内庁に何度か出向いたが
天皇の事は語れないとのことでした。遺構として五輪等と、他はお堂に入ってます。
                         妙安寺のご住職さんにお聞きしました

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