加古川城
築城者:糖屋有数 鎌倉時代
所在地:兵庫県加古川市加古川町本町
№442
鎌倉時代には播磨の守護所であったらしく、初代城主は糖屋(谷)有数とされている。
天正五年(1577)秀吉が播磨に入り、毛利討伐の軍議を『糖屋の館』で開かれたとされ
当時は館城。
三木合戦の兵站基地となり、十二代城主武則は秀吉の配下として賤ヶ岳で功名をあげ
三万五千石で加古川城主となる。が、子宗孝は大坂の陣で戦死し、城は破却された。
日本の名城・古城事典より
境内に建立された宝篋印塔
加古川城の説明板
称名寺と加古川城の説明板
称名寺の山門と手前の堀跡
山門手前の堀跡
登城日 平成二十三年(2011)二月二十一日 作成日 平成二十三(2011)年三月三日
本日4城目の加古川城にやってきました。参道正面に、無料駐車場(10台)がありました。
駐車場に車を停めさせていただき、参道を歩いていくと山門手前の右側に加古川城の説明板がありました。
山門をくぐり、境内に入りますと正面に本堂があり、左に七騎供養塚がありました。