御着城

№497

築城者:小寺政隆 永正十六年(1519年)
所在地:兵庫県姫路市御国野町

姫路城主小寺政隆が、子の則職に家督を譲り、隠居所として築いた城。浦上氏の播磨進攻の際
城は戦場となっている。天正年間に入って、東の織田、西の毛利の勢力が播磨に及んできた時
先見の明のある重臣の小寺孝高(黒田如水)は織田方につくことを進言したが、城主の小寺政職は
ずるずると毛利方に通じた。

そこで孝高は小寺家を見限り、羽柴秀吉を通じて信長に仕えた。一方、小寺政職の御着城は、
秀吉の中国攻めの天正七年(1579)に落城した。

                                       日本の名城・古城事典より

登城日:平成二十四年(2012)三月四日  作成日:平成二十四年四月十五日

お城造りの姫路市の支所

姫路市の支所全景

黒田官兵衛の顕彰碑

御着城の見取り図

天川橋の説明板

天川橋

御着城の石碑

御着城の説明板

英賀城跡から御着城跡に着き、周辺を散策。御着城の説明板を読み、黒田官兵衛の顕彰碑観ていると、地元の方が裏の天川橋も
観ていた方が良いよ! と教えていただきました。早速、お城造りの姫路市支所の裏に周ると、石橋が架かっていました。

渡っても良いそうなので、恐る恐る渡りましたが、以外にしっかりとして安心しました。
グランドの東側に土塁が残っているそうですが、雨が降り出し次回の楽しみとして帰路に着きました。

グランドの隅に御着城の見取り図と城碑

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