浦ノ城
築城者:少弐経資 弘安五年(1282)
所在地:福岡県太宰府市連歌屋二丁目1621-9
№455
弘安五年(1282)、鎌倉幕府は、九州における行政拠点として新たに鎮西探題を博多に
設置した。幕府は、それまで大宰少弐として勢力を誇った少弐家から反感を買うことを
恐れ、その権力を保障する形で当城を築かせたと云われている。
以来、少弐氏の居城となるが、どちらかというと政庁的な性質の強いものであった。
従って、当城は鎌倉幕府役人としての居城で、少弐氏の私城は有智山城の方が本城と
して機能していた。
浦ノ城公園内にある城碑
浦ノ城の案内板
浦ノ城公園の入口
公園内の祠
公園内の顕彰碑
登城日 平成二十三年(2011)五月十四日 作成日 平成二十三年六月八日
岩屋城に向かって進んでいる途中、息子が,あっ!! で、急ブレーキ
どうした!と聞くと、城跡の案内板があったようだ。で、バックに入れ坂道を下る。
あった~~ 城巡りの途中 息子は城跡の案内板を見過さない!!
新興住宅の道をスピードを控え、進んで行くと浦ノ城公園があった。閑静な住宅地の
南側にある浦ノ城公園は、眼下に太宰府市が観え眺望は最高でした。