小倉城

《指月城》

築城者:細川忠興
築城年:慶長七年(1602)
所在地:福岡県北九州市小倉北区城内2-1

小倉城には、今も天守(復興)と続櫓、それに着見櫓が残っている。
四方白壁南蛮造り、という珍しい名称もあるこの美麗な城は、約四百年まえに築かれている。
慶長七年(1602)、丹後の宮津城主だった細川忠興は、三十九万九千石中津の扇城に入った。
しかし、ここでは狭いので、九州と京都を結ぶ交通上の新都市となる場所で、行政上の中心に
ふさわしい地を求めた。あれこれ探しているうちに候補に上がったのが小倉である。
                                       日本の名城・古城事典より

№296

復興天守

鉄門跡の石段を上っていくと赤レンガの門があり、
本丸跡に入っていきます。この門は明治三十一年(1898)に
設置された第十二師団司令部の正門で す。
翌年、森鴎外が軍医部長として着任しました。
司令部は大正十四年(1925)、軍縮によって、久留米に移転したようです。

小倉城の五層天守は、南蛮造りと言われる様式の天守で有名ですね。
美作の森忠政が津山城築城の折り、この小倉城天守を
参考にするため家臣を派遣し たと言われています。

旧第十二師団司令部の正門

天守の入り口

小倉城の庭園

写真は天守最上階から東方を臨んだ景色です。
内濠の外に小倉城庭園が見える。左には八坂神社が鎮座する。
破風先端の鯱(しゃちほこ)が怒っているように見えるのは目の錯覚かな?。

破風の鯱

小倉城の石垣は切石でない、足立山の自然石を使っています。
槻(けやき)門跡が右手にあ り、その先に鉄(くろがね)門跡があります。
小倉城の本の丸は結構広い面積があり、ここに大規模な城主の居館が建てられていました。 本丸御殿への入り口は槻門と鉄門があります。

登城道

一階:城下町・小倉の歴史や文化、当時の藩主に関する貴重な 資料を展示していました。
二階:江戸時代の小倉城内にタイムスリップ。遊んで学べる楽しい体験コーナーでした。
三階:からくり人形の講釈を交えて、迫力の大型ワイドスクリーンによるCG映像等が楽しめます。
四階:小倉城にまつわる事や、展示やイベントを開催しているユニークな多目的スペースです。
五階:小倉城の天守閣から小倉の街が360度ぐるりと見渡せました。

小倉城庭園を出ると、前に八坂神社の鳥居がありますが、
通りを北に進み、リバーウォークの横のお濠端を西に進みます。

登城日:慶長四百六十三年(2009)二月七日 作成日:慶長四百六十三年(2009)三月二十一日

綺麗に整備された城跡で、桜の季節に再訪できるとまた違った楽しみ方ができるかも?。
戦国時代から変化にとんだ小倉城に再訪できる事を願って、次の予定地黒崎城に挑みます。

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