岩屋城

登城日 平成二十三年五月十四日  作成日 平成二十三年六月六日

№456

築城者:高橋氏 建武二年(1336)
所在地:福岡県太宰府市大字観世音寺

三険断というのは、この地方の武門の誉れである。足利尊氏の上洛のおり、
肥後の強力な勢力だった菊池氏を迎えようとして定めた武家である。

建武二年(1336)ごろのことである。その初代が高橋氏。この城を築いた
高橋鑑種も三険断の後裔だった。大友宗麟の父義鑑は、滅びようとする
この名門を惜しみ、大友一族の一万田右馬助を高橋家にいれて同家を継がせた。

これが、のちの高橋三河守(鑑種)だった。鑑種はここで大友義鑑・立花鑑載
らと毛利元就に対峙した。

大野城の中腹にある岩屋城の駐車場を探していると、山林警備員の方が車のまえに停まった。
で、お聞きすると、岩屋城には駐車場は無く、道路の広くなっているところに停めてください。
と、停められるところを教えていただきました。車を停め、岩屋城本丸に向かう途中、右(崖側)
に高橋紹運の墓の案内板があり、二の丸となっていました。

想像していたより壮大な城郭らしい。逸る気持ちを押さえ、階段を下りていくと正面に大きな
高橋紹運の墓があった。手を合わせ、一気に本丸を目指す。本丸への登城入口に縄張図があり
その裏に無料の説明書が置いてありましたので、一部頂いて、いざ、本丸へ!!

本丸からの眺望は最高
!!

本丸からの展望

高橋紹運の墓所

高橋紹運の墓所への道

岩屋山281m

空堀

本丸登城入口

本丸への登城道

岩屋城址の城碑

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