福岡城

築城者: 黒田長政
築城年: 慶長六年(1601)
所在地: 福岡県福岡市中央区城内

《舞鶴城》

№295

慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦で功があり、黒田孝吉(如水)・長政父子の筑前入封が決まった。
まず、入ったのが名島城(福岡県名島)だった。立花艦載が築き、小早川隆景が改築した城である。
ところが、五十二万石の黒田藩の城府としては狭すぎる。そこで長政は、翌年六月から着工して
慶長十二年に福岡城を完成させた。その普請奉行を野田佐助いい、黒田家二十四騎の一人に
数えられている高名な勇将だった。野口は、単に武勇の面だけではなく、石垣積みの名人だった。

鉄御門

大天守台

御祈念櫓

御祈念とは何を祈念していたのでしょうか?。
ここは本丸の北東隅にあたります。つまりウシトラの方角ですね。
そのため、鬼門封じの念を込めた櫓だったのでしょう。
大正九年(1902)北九州市八幡東区の大正寺に観音堂として
移築されていましたが、昭和五十八年(1983)に元の位置に戻りました。
福岡県指定文化財。

御鷹屋敷跡

黒田如水の隠居地で、大手門の南にある丘です。
鷹屋敷、というのはダイエーホークスにちなんだのではないでしょうか?。
築城前は本丸よりも高かったそうです。梅の花が満開で、
櫓台に上がって梅の花を楽しんでいる人も数多くいましたね。

大天守台の北側にある本丸から天守曲輪への入口です。
大正四年(1915)六月三十日に雑草の生い茂る鉄御門は
大音響とともに崩れ去ったそうです。
現在は左写真のようにきれいに修復されていましたね。

花見客

お城のシンボルで、三つの天守台の西端に位置する大天守です。
その天守を支える石垣は巨大なもので、高さ、面積も目を瞠るもので
風格があり、堂々としていました。

登城日:慶長四百六十三年(2009)二月七日 作成日:慶長四百六十三年(2009)三月二十一日

九州の旅の予定終了近くなり、急いで福岡城に着きました。
その忙しなさを梅の花がやさしく迎えてくれました。
広大な城郭に圧倒され、恐る恐る進んで行きますと、満開の梅の花が優しく迎えてくれました。
この日は観光客で、かなり混雑していましたが、写真を見る限りその様子を窺えませんね
福岡城は、歴史を感じる城跡で、再訪を望んでいる城となりました。

再訪へ

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