吉田
郡山城
№354
築城者:毛利時親
築城年:建武三年(1336)
所在地:広島県安芸高田市吉田町
中国征覇をなしとげた毛利元就の本拠の城である。元就は毛利宗家を継いだ
大永三年(1523)、この郡山城南麓にあった毛利家歴代の旧本城を拡大し、
全山を城郭とし、有名な人柱のかわりに『百万一心』と刻んだ石を埋めたと
されている。石碑は現在、元就の墓前に復元されているが、元就の三子協力を
諭した『三矢の訓』とともに幻の伝承である。
戦国の世を生きて、中国地方征覇の偉業をなしとげるには人々の結束が必要
だったと、一本の矢は折れても三本の矢は折れないと、兄弟力を合わせての
兄隆元と弟吉川元春・小早川隆景の協力があったればこそである。
城は現在も削平した郭跡を残し、建物や石組は一部を残して取り払われているが
本丸は上下二段に分かれ、上段には三層の櫓がそびえていたと伝えられる天守跡
二の丸と下方の四囲をめぐって数十の郭が尾根に刻まれ、さらに出丸が存在する
きわめて規模の大きな放射状の輪状連郭式山城である。
御 本 丸
登城日 平成二十一年十一月三日 作成日 平成二十一年十二月六日
御里屋敷内にある 毛利元就像
御里屋敷内にある 郡山城跡の石碑
旧本城大手口の石段
三の丸から毛利家一族の墓所への道
二の丸南側に残る石垣
本丸北端の櫓台にある御本丸の石碑
展望台からの遠望
郡山城公園駐車場の石碑
有名な「三矢の教え」の碑
天候 曇り
気温 3度~12度
走行キロ 1076km