増島城
築城者:金森長近 天正14年(1586)
所在地:岐阜県飛騨市古川町片原町
№452
金森長近は天正十三年(1585)に三木氏の治めていた飛騨国を攻略して領国とし、
本城の高山城および支城の萩原諏訪城、増島城を築いた。増島城の建設は
天正十四年(1586)であり、完成すると長近の養子・金森可重が古川城から
移って城主となった。
長近が慶長十二年(1608)に没して後継者の可重が高山城に入ると、その
長子・金森重近が増島城主となった。可重の死後はその三男である金森重頼が跡を継ぎ、
重近は出家して京都に去った。その後は家臣が入ったと思われるが、元和元年(1619)の
一国一城令にともない廃城となって古川旅館と改称し、萩原諏訪城と同様に金森氏の別邸
となった。元禄五年(1692)に金森氏は出羽国上山藩へ移封され、元禄八年(1695)に
高山城とともに破却された。
登城日 平成二十三年(2011)五月三日 作成日 平成二十三年(2011)五月二十九日
増島城の天守台は古川小学校の校舎と運動場の間にあり、南に荒城川が流れていました。
西側が運動場、東側が校舎、北側に濠が残っていて天守台に増島天満宮が鎮座していました。
学生さんは、勉強が終わると、天守台に上がりあたりまえのように遊んでいますが、幼い
頃の私をみているようで、車を停めている駐車場迄、顔をほころばせながら歩いていました。
増島天満宮
校舎
天守台
運動場
飛騨市立古川小学校
天守台正面
城跡の南側に荒城川
北側から観る天守台に増島天満宮が鎮座する
西南からの天守台
天守台西側の雁木
家紋入りの屋台館