大浦城

築城者:大浦氏 文亀二年(1502)
所在地:青森県弘前市五代字早稲田

№420

種里城主南部光信が、津軽奪還をめざす安東氏の侵攻に備えて文亀二年(1502)
に古城を改修し、養子盛信を置いた。盛信の子が政信で、のちに弘前藩主になる
津軽氏の遠祖とされている。政信・守信を経て、この城を本拠にする大浦(津軽)
為信は、元亀二年(1571)、三戸南部氏の一族で津軽郡代の石川高信を奇襲して
自刃に追い込み、南部氏から独立し、津軽を統一していった。

文禄三年(1594)に為信は居城を堀越城に移し、大浦城に城番が入り、元和の一国
一城令により廃城となった。その後、弘前藩の火薬庫が旧三の丸跡に築かれた。
                       日本の名城・古城事典より

大浦城の石碑

弘前城から大浦城に向かうため、県道3号線を進み、次の信号を右折します。
信号を過ぎ、次の脇道角に大浦城址の石碑のまえに、説明書きと縄張図が
描かれた大きな看板がありました。大浦城城碑は大浦中学校校門手前の右手に在ります。


道路の右側は大浦中学校のグランド

大浦城の縄張と説明板

説明板の後に城碑が建っています

登城日:平成22年9月12日  作成日:平成22年10月03日

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